鹿島美術研究 年報第36号
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たと考えられる。また、内部装飾でも、ギリシアより画家集団が訪れてフレスコ画が描かれるが、何らかの理由で写実的な人物表現も生み出している。ミレシェヴァ修道院やソポチャニ修道院では、13世紀半ばに描かれたにも関わらず、人間味溢れる表情の人物が表された。そのようなセルビア中世美術において聖堂の寄進者である王家の一族を描いた「ネマニャの樹」という図像が14世紀初頭に登場する。その図像は、前段階として、(1)祖先の隣に寄進者、(2)祖先と寄進者配偶者、(3)寄進者と子孫という3パターンの平行に並んだ寄進者群像が描かれ、後に縦に並んだ家系図として発展した。具体的には、ミレシェヴァ修道院の肖像画(1223年頃)では、聖母が王である寄進者をキリストに導く形で表現される。のちのソポチャニ修道院(1270年頃)では、聖母と寄進者の間に寄進者の祖先(祖父、父、兄)が追加される。最終的にジョルジェヴィ・ストゥポヴィ聖堂に隣接したドラグティン王礼拝堂(1282-83年)では、聖母が省かれ、寄進者が祖先に導かれた構図として表現される。これらセルビアの寄進者像の体系的な研究はこれまで S・ラドイチッチによって行われてきた。ここで注目されるのは、仲介者の役割が聖母から寄進者の祖先へ移るという点である。13世紀中頃から祖先を敬った「エッサイの樹」の図像がセルビアで流行し、諸聖堂に頻繁に描かれた。キリスト教以前に祖先崇拝が行われていたとする民族学者 S・ゼチェヴィッチによる指摘を考慮に入れると、「エッサイの樹」がセルビアで容易に受け入れられたことは想像に難くない。また、14世紀以降に登場する図像「ネマニャの樹」は、「エッサイの樹」を踏襲しているという定説がある。これは形だけでなく、キリストの系譜の正統性をネマニャ家に当てはめようとしたと考えられる。本調査研究によって、他の東方正教会の諸聖堂に比べ、支配者、その祖先と後継者、聖職者等の肖像画が多く見られる要因を以下3点より考察する。①キリスト教以前の信仰、②祖先崇拝、③王国の威厳の確立。中世セルビア王国時代に描かれた寄進者の肖像画に対して新たな解釈を試み、キリスト教美術の範疇を超えた肖像画の意味を明らかにする機会になることが期待される。―80―

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