茶道具からみる草創期の茶の湯の美意識―連歌師と茶人との交流から検証する―数多くの作家名が、京都高等工芸学校等の教育機関で図案の教育を受けた画家であるとも限らない。この時期には多くの図案が描かれ、図案集が出版されていたが、その実態は把握しきれていないのが現状である。それを明らかにするためにも、青楓と同時期の図案について調査し、そして最終的に、青楓の京都図案界での位置づけを試みたい。さらに、勤務地である渋谷区立松濤美術館にて津田青楓や明治から大正にかけての図案の展覧会を開催し、本研究の成果を公にすることを考えている。研究者:兵庫陶芸美術館学芸員萩原英子茶道具は、日本美術史の中においても看過できない存在である。茶道具の多くは美術館・博物館に所蔵され、広く公開されているが、一般的に茶道具の美的価値は、日本画や彫刻といった芸術に比べ理解しがたい。しかし、一見捉えにくいその美的価値も、茶道具に込められた茶人の美意識や茶の湯の精神への理解によって、感じ方を変えることができるだろう。本研究は、日本美術史の中に位置づけられる「茶の美術」を再考し、茶道具の存在をより際立たせることも可能である。この点においても、本研究は、意義ある成果を得られるものと考えられる。本研究が軸とする連歌師の中世社会での立場や位置づけについてここで概説しておきたい。茶の湯が芸能の一つとして確立した室町時代後期は、社会や文化において歴史的な変動の時代であった。そしてそこでは連歌(和歌の上句と下句を一人または数人から十数人で交互に詠み連ねる詩歌)が多く創られそれを担う連歌師が活発な活動を行った。そしてそれは文学や芸能に影響力をもち、連歌の理念が、能、立花、聞香などの諸芸能においてある種の共通理念とされていった。同時代に発祥した茶の湯もまたその影響下にあったと考えられるが、今日も興隆し発展する茶の湯の理念の基底に、今日ではメジャーではない連歌という行為があったことを立証するには詳細かつ着実な調査が必要で、現時点では研究が進んでいるとは言えない。本研究は以下の3つの着想をもとに研究をすすめたい。〈連歌師の草庵と「市中の山居」茶室の関係性〉連歌の担い手であった連歌師は、―82―
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