鹿島美術研究 年報第37号
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ウジェーヌ・ドラクロワのオリエンタリズム再考―ギリシア独立戦争に纏わるイメージの分析を通して―上述のような鏡の間の政治的なメッセージの発信に加え、メッセージの受容者にも注目する。当時、ヴェルサイユ宮殿の一部は一般に公開されていたため、同時代人の訪問記が多く残っている。フランス人は鏡の間を賞賛することが多い一方、外国人はルイ14世の権力の誇示を快く思わず、装飾全般について批判的な感想を持っていた。彫像に関しては受容の研究は進んでいないため、その一次史料の調査は、彫像にとどまらず鏡の間全体の受容を考える上で意義深い。鏡の間の彫像群は王のコレクションの展示であるという見方が支配的である。それは、一見では彫像群が、フランスの独自性を強調する鏡の間の他の装飾と相容れないように思われるからであろう。本調査研究はギャラリー史とアパルトマンの移動という建築史の観点と、ヨーロッパ情勢の変化という外交史の観点、そして受容者という観点を統合することで、彫像設置の妥当性と象徴性、その効果を明らかにする。延いては、鏡の間全体の象徴と機能について新たな知見を提示したい。研究者:東京大学大学院人文社会系研究科博士後期課程本研究は、ウジェーヌ・ドラクロワ(1798-1863)が1820年代に探求したギリシア独立戦争(1821-1829)をめぐるイメージの網羅的な分析によって、画家独自の「ギリシア人の描写」の特徴を明確にすることを目的とする。近年の展覧会「ドラクロワ―絵画の中の事物、モロッコの思い出」(2014年、パリ、ドラクロワ美術館)や「ウジェーヌ・ドラクロワとオリエンタリズムの夜明け」(2016年、シャンティイ、コンデ美術館)が示す通り、ドラクロワのオリエンタリズムをめぐる問題は、1832年の北アフリカ旅行との関連で論じられることが多い。確かにドラクロワは、オリエント世界を目にした最初期の画家の一人であり、その作品群は19世紀オリエンタリズム絵画を牽引する位置付けを得ている(Barthélémy, Delacroix, Paris, Gallimard, 1997, rééd. ibid., 2018, p. 140.)。しかし絵画史における位置付けから離れて、画家ドラクロワの内在的な関心に立ち返る時、オリエントのモティーフの意味合いは、いまだ詳細に論じられているとは言い難い。本研究はドラクロワの個人研究として、北アフリカ旅行前夜の1820年代という時期に的を絞り、当時における彼固有の問―85―湯浅茉衣

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