鎌倉時代の来迎芸術に関する一考察―法華寺蔵《阿弥陀三尊及童子像》を中心に―継子譚などが付加された主人公の受難と信仰を内容とする「中将姫説話」が成立する。「中将姫説話」は、お伽草子や奈良絵本、小絵の題材となった。こうした展開の中での内容の変遷が、説話と絵画の両面から論じられてきた。しかしながら、中世後期以降の説話の流布の隆盛が、中世前期の当麻曼荼羅信仰といかに関わってもたらされたのかについては、考察が十分に尽くされていない。近年の研究(日沖敦子『当麻曼荼羅と中将姫』勉誠出版、2012年)はあるものの、より多角的な観点からの探究が求められている。本研究は、中世前期から後期への移行期にあたる14~15世紀頃の龍谷大学本掛幅の詳細な考察を含むものであり、この点において、中世前期から後期への流布の展開を辿る上での有効な糸口になるものと考える。研究者:鎌倉国宝館会計年度学芸員本研究の目的は、法華寺蔵《阿弥陀三尊及童子像》(以下、法華寺本)を中心に据え、日本中世における阿弥陀浄土信仰の絵画表現について、作品の歴史的コンテクストを顧みながら再考することにある。筆者は、特に、浄土教絵画の中でも「来迎図」というひとつの大きな枠組みでのみ捉えられてきた法華寺本が、実際にはこれとはベクトルを逆にする「往生図」として分類し直すことができる可能性を強調する。そのことは、いわゆる「来迎図」の登場する平安時代から、表現の幅を広げた鎌倉時代にかけての阿弥陀浄土信仰の質的変遷をたどる上で非常に重要な情報を提供してくれると言えるだろう。近年、来迎芸術論は、加須屋誠氏によって先の大串純夫氏の論(「来迎芸術論(全5回)」『國華』第604号、國華社、昭和15年)が補完された(「新・来迎芸術論―大串純夫の余白に―」『図像解釈学―権力と他者仏教美術論集第四巻』竹林社、平成二十五年)。加須屋論では、いわゆる「来迎図」を「夢みるまなざし」と「醒めたまなざし」の両視点から検討を加え、従来の来迎図研究における一大テーマであった正面向き来迎と斜め向き来迎の意味するものに関して、卓越した解を示された。氏は、来迎図の形式がいかなるものであれ、往生者と往生の光景を見守る他者との関係性そのものが「表象された救済(=来迎図)」に含まれているのであり、まなざしのベク―90―中川満帆
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