鹿島美術研究 年報第37号
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素材効果との関係性に着眼し、今村紫紅の代表作「近江八景」と「熱国之巻」の特異的表現について素材史の視座からの解明を目標としている点に価値がある。(2)素材史を軸にした近代日本美術史の再検討近代日本画における転換点として、基底材の違いによって生じた絵画表現の変化に主眼を置くことで、素材の効果を前面に出した装飾的表現と、素材を利用して対象の質感を表出する写実的表現という、二つの対立する表現の展開を浮き彫りにする。そして、今村紫紅の画業が近代日本画の発展にもたらした表現技法の探究において、画材の選択が重要な意義を持ち、紫紅の使用した基底材と画材における表現が周辺画家の画風にも影響を及ぼしたことを示す。この背景にある近代の素材史を一次資料の調査をもとに構築し、その美術史的意義を考察する点が独創的である。構想日本画と和紙との関係に着目した研究は『和紙と日本画展 : 岩野平三郎と近代日本画の巨匠たち』(福井県立美術館、1997)や『日本画―和紙の魅力を探る』(徳島県立近代美術館、2007)においてなされている。そこでは大正末期から昭和にかけての日本画に適した和紙開発が報告されているが、大正初期までに基底材として使用された和紙の特質の大局的な検証はなされていない。また、近代画の科学調査は横山大観筆「山路」a や狩野芳崖筆「仁王捉鬼」b などに関する調査研究があるが、これらは主に使用された絵具の種類に着目した研究であり、基底材と墨や絵具との関係性を検証するに至っていない。紫紅が紙本の大作を発表し始めた時期は日本画壇全体において基底材が絵絹から和紙へと変化していく過渡期に当たることが指摘できる。そのため、筆者は今村紫紅筆「近江八景」「熱国之巻」の現物調査を基礎として、紫紅がどのような表現効果を狙って画材を選択し、いかなる画法を試みたかを現物調査、再現実験、一次資料調査の三つの視点から検証する。そのうえで、大正以降の画家の「新しい日本画」創作に向けた実験的制作と画材との関係性を歴史的観点から解明したいと考えたことが研究の構想経緯である。本研究は美術史に対して素材史の視座からの再検討という新たな歴史解釈の視点を提供する。近代に飛躍的に発展した日本画の素材による絵画表現への影響を軸に、二十世紀初頭の絵画史の中での日本画の歴史を再構築する本研究は、戦後の日本画におけるマチエールを追求した新たな絵画表現への展開を考察する上でも重要である。―102―

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