鹿島美術研究 年報第37号
122/154

や批評家といった人物の生活空間の様子がしばしば『ヴォーグ』などの雑誌で写真付きで紹介されていた(例えば、Anonym, “Private Lives-With Art,” Vogue, 15 January, 1964, 86. Annette Michelson, “An Art Scholar’s Loft: The New York Apartment of William Rubin,” Vogue, 15 March, 1967, 136-42, 154-55.など)ことを鑑みれば、そうした趣味の良い部屋に収集された作品との比較を通じて、デ・クーニングの「凌辱的」で「快楽的」な作品がいかにそうしたコレクションの伝統的審美主義やブルジョワ的趣味の「良さ」にそぐわないものであったのかを明らかにすることができる。本研究の意義はまず、上述した考察を通じてこれまで等閑視されてきた画家の60年代の作品を徹底して同時代の文脈のなかで捉えなおし歴史的に位置づけることに見いだせるだろう。また、作家自らが意図しない受容的効果(具体的には否定的言及)に着目する本研究は、60年代のアメリカにおける美術と文化の関係、そして美術と社会の関係を考察するための有意義な事例になりうる。本研究の価値はデ・クーニング研究ないしは戦後アメリカ研究の内部のみにとどまるものではない。日本にもデ・クーニングの60年代の作品は何点か存在しており(例えば、《無題(女)》(1966-67年、東京都現代美術館蔵)や《風景の中の女》(1966年、東京国立近代美術館蔵)など)、そうした作品の史的意義の解明は各美術館のコレクションの意義の明確化や活性化(新たな展覧会の企画、作品の購入など)にもつながる。また、60年代における作家の受容を扱う本研究は、70年代に入ってからのデ・クーニングの仕事を再検討することをも可能にするだろう。顧客の発見のために敢行された日本訪問の直後である1970年2月から1971年の末にかけて、デ・クーニングは絵画制作をほとんど中断して数多くのリトグラフを制作している(絵画制作は1975年に再開される)。先述の回顧展のカタログでは、東京国立博物館で鑑賞した水墨画や書からの影響が指摘されている(Jennifer Field, “New Directions,” in de kooning: a retrospective, exh.cat., The Museum of Modern Art, 2011, p.395.)が、デ・クーニングが実際に日本で見た可能性のある作品の精査、絵画からリトグラフへ制作が移行した理由など、依然として未解明の問題を多く残している。リトグラフの制作が、顧客獲得を目的とした日本訪問の直後に開始されていること、約2年間という極めて限定的なものであったこと、60年代の絵画作品の評価が軒並み低かったことなどを考慮すれば、制作媒体の変化は自身の評価形成をめぐっての戦略的なものであった可能性も考えられる。60年代の否定的評価を考察の対象とする本研究は、そうしたデ・クーニン―107―

元のページ  ../index.html#122

このブックを見る