鹿島美術研究 年報第37号
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明代官窯磁器に見られる龍文とその象徴に関する研究場が徐々に団体展から個人規模のグループへと重心を移してゆく転換期において、重要な役割を果たしている。これまで全くと言ってよいほど紹介されていないこのような後藤の多彩な活動は、名古屋の戦後美術史を記述する上で欠くべからざるものであり、またアンフォルメルや前衛書など同時代の表現を果敢に取り込む集団としての朱泉会の活動は、地域を越えた日本の戦後美術の考察にも大いに寄与するものと考える。研究者:日本学術振興会特別研究員PD・筑波大学意義本研究では、明代官窯磁器に見られる龍文の象徴的意味について解明するが、これは以下2点の大きな意義を持つ。①明代における龍文の象徴的意義の解明。龍文の象徴を検討する際、現代の意味で解釈されてしまうことが多いが、実際は各時代によって異なっている。とくに、明代は龍文が重要視され、様々な象徴的意味が付与された時代でもある。そこで本研究においては、龍文の意味を考える際に、当時の解釈に従うことで、龍文に対する正しい認識を行う。また明代には、「龍生九子(龍が多くの瑞獣を生んだ)」という説話が発生しており、龍の種類の増加に伴い、龍の概念が極めて複雑化していた。本研究は、官窯磁器上の龍文という政府公式のデザインを分析することで、明代に複雑化した龍を体系的に捉え直し、現代にも繋がる龍の意味を実証的に説明する。②明代の景徳鎮官窯の位置づけ。明代の景徳鎮官窯は、制度的にも宮廷直轄の機関であることは疑いない。だが宮廷直轄であることが、果たして生産される磁器にどのような影響を与えたか、具体的な言及は少ない。無論、質の向上などは官窯であるが故の特性だが、その背景に存在したであろう政府の意向や理念までは解明されていない。そこで本研究では、国家の象徴的意味合いが強い龍文に注目する。宮廷直轄の官窯で描かれた龍文は、政府の意向や理念を具現化したものであると考えられ、そこから宮廷と官窯の繋がりを捉えることで、明朝政府にとって官窯がいかなる存在であり、どのような意義を持っていたかを解明することができる。以上、本研究によって、明代の陶磁・文化・政治・制度に多くの新見解をもたらすことができる。本研究の遂行により、官窯磁器は単なる調度品などではなく、当時の政府の様々な思想を内包し、国家統治を円滑に行うための役割を付与されていた可能性が指摘で―115―新井崇之

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