されると共に、これまであまり取り上げられなかった儀礼的な側面からの研究が進展してきている。そこで本研究では、それらの最新の研究成果をもとに、改めて日本の涅槃図を捉え直すことを主目的としている。これまで筆者は、各地に伝来する涅槃図について積極的に現地調査を行い、画像データをはじめ多くの情報を収集してきた。そうして各地の涅槃図を調査していくなかで、筆者の主目的である涅槃図の図像学という観点でデータを概観した際に、他作例にはあまり見られない図像が散見されることに気づく。これまでは、このような差異については漠然と外来文化からの影響として説明されてきたが、先に述べたような近年の大陸美術の研究の進展により、それらに具体的な意味づけがなされ始めている。そこで、改めて日本で制作された涅槃図の図像を精査し、中国や韓半島の作例と比較検討する必要がある。特に本研究では、鎌倉時代に制作された涅槃図を中心に据えた。平安末から鎌倉時代にかけて、奝然や重源、俊芿などに代表される入宋僧によって、宋の文化が日本にもたらされ、仏教美術にも大きな影響を与えた(いわゆる「宋風」)。平安時代後半から鎌倉時代というのは、新しい文化の影響下で様々な文物が生み出されていった時期である。その時期に制作された涅槃図の作例を精査し、特徴的な各図像の淵源を明らかにすることは、その図像がどのように日本にもたらされ、涅槃図に取り込まれたのかに必然的に繋がってくる。最終的には、それぞれの特徴的な図像について意味づけを行っていきたい。そもそも日本における仏教そのものが外来のものであり、日本の立地上、各時代を通して外来文化の影響は不可避なものである。しかし、現存する作例は数に限りがあるため、その実態を正確に把握するのは困難である。そのような状況のなかで、作例数が比較的多い涅槃図を用いて考察することは、大変実証性に富むものと考える。本研究では、涅槃図に見られる外来文化の影響を考察することで、当時の日本の仏教界が海外からの影響についてどのように受容(あるいは拒否)してきたかを探ると同時に、東アジア全体の中で日本の仏教文化がどのように位置づけられるかを試みるものである。―119―
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