化仏を戴く普賢菩薩像について―南宋から元時代の浙江地方を中心に―研究者:岡山県立美術館学芸員八田真理子本研究の目的は、中国における宝冠に化仏が表された普賢菩薩について、日本の作例も参照しながら包括的に検討することで、図像の展開と担った意味の変遷を明らかにすることである。この図像は、日本においては国宝の「普賢菩薩像」(東京国立博物館、平安時代)が平安仏画を代表する作例として著名であるほか、普賢延命像が密教図像としての文脈から個別に言及されてきたが、日本美術が常にその影響下にあった中国における展開が考察されることはおろか、作例同士の影響関係や地域および教団との関わりについては十分な考察がなされているとは言い難い。本研究は、中国において、普賢延命法や観普賢菩薩行法といった個別の儀礼に用いられたであろう図像が混交していくことを指摘し、その過程を明らかにするものである。このような展開の理由には、儀礼の目的に共通性があるほか、天台宗開祖の智顗の教えが作用した地域性が想定できる。そしてこの浙江地方は、日本人僧侶が多く留学し、文物や儀礼を持ち帰った場所でもある。すなわち、本研究で普賢菩薩信仰の具体相を示すことは、中国の影響を受けた日本の作例の正確な位置づけにおいて必須の作業といえよう。本図像の展開を考察するにあたってとくに注目するのは、①「釈迦諸尊集会図」(滋賀・成菩提院、南宋~元時代)、②「普賢菩薩像」(岡山・木山寺、県指定重要文化財、元時代)、③「普賢菩薩像」(杭州・飛来峰、1290年)の三作例である。①「釈迦諸尊集会図」(滋賀・成菩提院)では、「観普賢菩薩行法経」に説かれるように化仏を戴く普賢菩薩像を含む釈迦三尊像が描かれる。ここでは経典どおり、白象の頭上に褐色の肌の三化人が表されている。智顗が『法華三昧懺儀』で述べるように、同経を用いた観想の修行は菩薩位に入るために重視されたものだった。この図像は単独でも礼拝の対象だが、諸尊が法華経を礼拝する点、文殊菩薩も化仏のある宝冠を被り、華厳三聖像と重複する図像である点で、この図像が法華経を軸としながら再構成されたものとわかる。また、独尊の②「普賢菩薩像」(岡山・木山寺)は「観普賢菩薩行法経」で説明される図像と、三化人がおらず「釈迦諸尊集会図」における褐色の化人(崑崙奴)が象を曳いている点を除けば共通する。ここで石刻の③「普賢菩薩像」(杭州・飛来峰)を見ると、象に乗り化仏を戴くという点で①や②の図像と類似するものだが、「延命」についての願文が記年銘を伴って刻されていることが注目される。―120―
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