鹿島美術研究 年報第37号
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《西洋美術部門》双幅(個人蔵)の箱書に「馬元欽蜀桟道図写山楼文晁翁画」と記されている馬元欽なる画家の「蜀桟道図」及び馬元欽の山水画「桃源問津図」(1714橋本コレクション)などを挙げる。次いで、文晁は趙珣・馬元欽の作品から表現を取捨選択して取るが、文晁自身の趣向に従って様々な要素を加え、変更するなど、その過程に文晁の画家としての創意を読み取る。そして、関東南画における福建地方画壇の影響については、渡辺崋山はじめ文晁一門の作家と作品を挙げ、馬元欽と同時期の洪基も影響を及ぼした重要人物の一人として、崋山や崋山の弟子である福田半香にも受け入れられていることを挙げ、崋山を経て文晁にまで遡ることを想定する。ところで、関東南画の山水画様式は「北宗画」的といわれるが、清代の福建地方で描かれた院派系の作品が渕源の一つになっていて、関西の南画家たちとは異なることを指摘するなど、論考の主たる目的が明確に検証されていることを評価し、財団賞に相応しいと判断された。また、宮田氏の研究は、福岡と佐賀の県境に位置する浮嶽にある浮嶽神社所蔵の平安時代前期に遡る木彫群の制作背景を神仏習合の視点から考察したものである。この視点は、木彫群の成立を740年に北九州で反乱を起こし敗死した藤原広嗣の怨霊の護法善神化に象徴される神仏習合思想の高まりと北部九州の造寺造仏に大きな影響力を持っていた観世音寺講師に求め、加えて木彫群のうちに通例の仏像の印相などと異なる造型表現が取られていることも神仏習合の視点から解明するなど評価された。財団賞:森オルヴィエート大聖堂サン・ブリツィオ礼拝堂装飾の制作背景―腰壁装飾に見られるピントゥリッキオ工房との関連から―優秀者:亀田晃輔今回、財団賞を得た森結氏の「オルヴィエート大聖堂サン・ブリツィオ礼拝堂装飾の制作背景―腰壁装飾に見られるピントゥリッキオ工房との関連から―」は、ルカ・シニョレッリによるこの壮大な装飾壁画群が、全体のプログラム策定と実際の制作過程において教皇庁と深い関連にあり、特に造形様式と図像表現に関し、シエナの枢機1880年代におけるクロード・モネと美術市場について結―18―(文責:有賀祥隆)

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