鹿島美術研究 年報第37号
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2.ジョルジュ・プティ画廊〈国際絵画展(1885-87年)〉におけるクロード・モネ ―オクターヴ・ミルボーとの関係を中心に―信の工房が参照したものを以下の4つに分類した。A.特に大衆の信仰を集めていたと思われる視覚文化(仏画を含む)、B.仏画以外に典拠となった視覚資料、C.大衆の周辺にあった信仰とは異なる現象、D.テキストとした。次に、100幅で構成された増上寺本において部分的に用いられた西洋画法を一信の画業全体から今一度見直し、梵土表現の一つとして解釈可能であるかを考察した。結果、特にA.に関しては梵土を描くと標榜しながら当時の江戸の庶民信仰との深いつながりが見受けられ、実在したインドの信仰と乖離が生じており興味深い。増上寺本では器物や袈裟を如法に基づく形で描き絵画の仏教における正当性を高めたが、その一方で自由に国外へ出ることが叶わなかった時代、旧来の異国を示すアイコン(棕櫚や塼等)は依然、絵画表現における時代的な制約として残存していた。梵土を描く際に旧来の中国的な表象を再生産せざるをえなかったことは、近世以前の絵師に課された宿命であったともいえる。また、増上寺本における遠近法には、当時、空間を表現するにあたって最も精度の高かった亜欧堂田善の銅版画が選択・参照され、梵土表現に広がりを持たせるものとなっている。淡墨を重ねた陰影法は、梵土表現の一つというより人智を超えた厳しい修行を継続する羅漢の精神性を伝えるためのツールであったと考えられる。逸見(狩野)一信筆五百羅漢図における梵土表象は、近世までの日本絵画における異国表現の集大成であり、江戸という地域で発生した民間信仰にも支えられた特殊性も持ち合わせている。一信の類稀なる構成力、工房の想像力の結集によって実現された本作は、羅漢という主題にあやかり、時空を超えた普遍的な人間の精神まで描き出そうとした仏教絵画の意欲的作品であると結論できる。神戸大学大学院人文学研究科博士課程後期課程亀田晃輔印象派の画家クロード・モネ(1840-1926年)は、近代の前衛画家としては珍しく生前に成功をおさめた人物の一人である。成功の要因は、1891年の個展で発表した《積みわら》以降の「連作」に求められるだろう。それは実際、変化する時間や天候の一瞬の表情を複数の画布に描きこむ「連作」の手法の美的性質に起因することはもちろん大きいのだが、モネが画商や美術批評家たちと結託して、作品の価値を上昇さ―21―

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