鹿島美術研究 年報第37号
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礼の次第は文献記録に残っているものの、実際の葬礼や追善供養において写本やイコンといった美術品がどのように機能していたのかは殆ど明らかになっていない。しかし、ビザンティンの美術品の多くは本来何らかの宗教的な目的に供していたものであり、単に美的な鑑賞行為のために制作されたのではない。本研究が完成した暁には、美術品がビザンティンの社会において果たしていた役割について新たな視点を提供できるであろう。本研究の価値として、筆者の研究は実見調査を基に行われる、という点も特筆に値する。写本は建築物と異なり、挿絵が描かれている支持体が二次元的な平面であるためか、実際の写本に当たらずに既存の図版のみを観察して発表されたと思われる先行研究も少なくない。近年、ビザンティンの挿絵入り写本はデジタル化が進められており、インターネット上で閲覧可能な写本も漸次増加しているため、ますますその傾向が強まっているようである。対象写本を実見調査する筆者の研究は、先行研究の記述に誤りがあった場合には、それを指摘することにもなるであろう。実際、オックスフォード大学のある詩篇写本の実見調査を行った折、過去に別の研究者が誤って観測したデータを発見し、これを修正した(太田英伶奈「ビザンティン貴族詩篇写本(ボドリアン図書館所蔵バロッチ15番)について」『WASEDA RILAS JOURNAL』第5号(2017年)、59-68頁)。対象7写本に関する先行研究が写本学的なデータに関する記述を大幅に欠いているのは、ひとえに実際の写本にあたって調査を行っていないからであると考えられる。最後に、対象写本に挿入された図像と採録されたテクストを突き合わせながら分析する手法は、本研究独自のものである。美術史の研究では図像のみを検討し、文献史学や古文書学の研究ではテクストのみに着目するのが、先行研究の主たる姿勢であった。筆者は写本における図像とテクストを連動する不可分の要素として捉え、一方が他方の選択にどのような影響を与えているのかを考察する。図像とテクストの関係について考察する上では神学の知識が不可欠であるが、筆者はビザンティン神学の研究にも努めており、従来の研究でなされてこなかった対象各写本のテクストと図像の神学的な関連を問う画期的な議論を行う。―30―

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