李梅1) 麦積山石窟で開鑿興隆期の壁画に焦点を当て、その総体を取り上げた初めての試②文様・図像研究からみる麦積山石窟壁画の重修問題③宮脇愛子と日向あき子の1960年~70年代―31―川谷承子研究者:筑波大学大学院人間総合科学研究科博士後期課程満期退学 みである。2) 研究対象が塑像に偏りがちであった従来の研究方向を転換し、壁画に焦点を合わせる点に本研究の独自性がある。3) 東部石窟群の代表格である麦積山石窟は存続期間が長く、他の石窟で欠落した時代の遺作を保有している。従って、同石窟の精確な基礎研究は、甘粛の東西石窟に西域史を語らせる上で欠かせない。4) 麦積山石窟から半径100km圏内に、渭水流域の武山水簾洞石窟群(水簾洞・拉梢寺・千仏洞・顕聖池)、甘谷大像山石窟があり、さらに350kmほど西方の黄河流域に炳霊寺石窟があって、塑像や壁画に様式上の類似点を見せている。近い将来には、これらについて基礎研究を進めていき、「甘粛東部石窟群」として総体的な再定位を試みたい。研究者:静岡県立美術館上席学芸員「問題の所在」に記した通り、1960年代~70年代に活動した日本の女性の表現者に関しては、各方面でいまだ研究の途上にあり、2019年の時点で、同時代の男性作家の研究と比較すると研究の幅と厚みに欠けると考えている。本研究では、このような問題意識に基づき、とりわけ男性の活躍がめざましい1960年代~70年代の造形表現、美術評論の分野で、歴史に残る活動を行った宮脇愛子と日向あき子の二人を取り上げ、彼女たちの1960年代~70年代の足跡を、作品と資料、著書、聞き込み調査によりたどり、調査の成果をもとに分析を行う。アメリカで1960年代後半に起こりその後全世界に広がった、ウーマンリブの影響は日本にも広がった。そのような時代を背景にして、花の24年組と呼ばれる少女漫画家(萩尾望都、竹宮惠子、大島弓子ら)が活動をはじめるのは、まさに1970年であった。
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