鹿島美術研究 年報第37号
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⑨近世の大名家における能楽と能道具の受容に関する研究ズム論争であるが、本郷新の発言を整理することによって、彫刻家の立場からの応答がどのようなものであったかを明らかにすることができる。こうした彫刻家からのアプローチを、画家や主に絵画を念頭において批評していた美術評論家たちの言動に関する既存の研究成果に加えることで、当時の芸術界におけるリアリズムに対する姿勢を理解することがかなう。研究者:早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程、 東京文化財研究所研究補佐員能は中世から続く日本の伝統芸能であり、江戸期においては専門の役者のみならず武家の間でも広く行われた。当時は多くの大名家で能面が収集されたが、そうした面に関して現在まで一括で伝わる例は少なく、災害や戦火で失われたり、近代に入札会などを通じて散逸してしまったものも多い。そのため、当時行われた能の実態や能道具の収集については不明瞭な部分が多く残されている。本研究では、近世に能と関わりを有した大名家の一例として、臼杵藩主稲葉家に焦点を当て検討を加えていく。同家で行われた能についてはこれまであまり言及されることがなく、現在もその全貌は明らかではない。特に同家が所有していた能面に関しては記録に乏しく、宮本圭造氏による先行研究においては、売立目録に掲載される写真から、あまり質の高いコレクションではなかったという判断がくだされている。筆者は、現在早稲田大学會津八一記念博物館に所蔵される「べしみ」、「平太」、「曲女」の三点の面を稲葉家の旧蔵品として見出した。このうち「べしみ」面は、銘文から室町期に制作されたことがわかり、高い資料的価値を有する作例として注目される。江戸期においても古作の能面に価値が認められていたことが知られており、本作は当時から重要視されていたと推測できる。この面の存在からみて、稲葉家の収集面は現在想定されているより良質なものであった可能性が考えられる。本研究を通じて、同家の所蔵面についての新たな評価を試みたい。さらに、本研究では「べしみ」面の伝来および制作背景についても考察を行う。銘文の記述から、本作はもともと天文九年(一五四〇)に「白山妙理権現」に奉納された面であったことがわかる。本面に関わる作例としては、岐阜・長滝白山神社、広島・―41―大谷優紀

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