⑩15世紀後半の「無原罪の宿り」をめぐる神学論争がマリア図像に与えた影響について厳島神社に所蔵される二点の翁面が挙げられる。二面は「べしみ」面と同じく奉納面であるのにくわえて、願主や制作年代に共通点が認められ、同一の人物が手がけたと推測される。これら三点の面について作品調査を通じて細部の比較を行い、それぞれの関係性を検討していく。中世において能面の奉納は様々な寺社で行われており、国内各地で作例が確認される。しかしながら、ほとんどの奉納面は断片的な情報しか伝えられず、作者や願主が判明しているものは少ない。前掲の二点の翁面についても、制作背景や奉納の経緯はこれまで明らかにされてこなかった。こうした中で注目されるのが「べしみ」面の存在である。本面の銘文からは制作者の名前や願主の生年など、様々な情報を読み取ることができる。三点の面の関連性を実証することで、これらの面の制作背景を知るための重要な手がかりが得られるのである。以上のように、本研究の実施により、臼杵藩主稲葉家の旧蔵面のみならず、中世の奉納面についても新たな知見が提示できると筆者は考える。さらに、本研究の最終的な目的は、近世の大名家における能楽および能道具の受容の実態を探ることにある。冒頭で述べたとおり、近世において武家は能楽の受容者として重要な位置を占めていた。いまだ不明な点の多い当時の能の有りようを知るためにも、大名家と能の関わりを明らかにすることは大きな意義をもつといえよう。研究者:早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程マリア図像研究において「無原罪の宿り」は看過できないテーマである。これまでにもD’Ancona(1957年)やSchiller(1980年)、15世紀以降の図像を扱ったFrancia(2004年)は詳細な図像分類を行っている。しかし、あくまでもモティーフに基づく分類に留まるものであり、図像の時系列的変遷及び思想背景は考慮していない。また、Lightbown(2004年)やTazartes(1987年)等の個別研究でも、図像の源泉の特定に主眼が置かれており、神学は概略的に述べられるに留まっている。このように、図像解釈において神学的理論と図像を結び付けた考察がなされてこなかったことが、15世紀後半の図像に新たな表現形態が用いられた意図や、形態が示す意味内容が明らかにされていない理由であると考える。―42―福田淑子
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