鹿島美術研究 年報第37号
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る。森永製菓PR誌『スイートランド』(1935年創刊)は、小学生から中学生程度の児童を対象とし児童文化に影響を受け、キャラメルを中心にしたPR誌『オカシノクニ』(1932年創刊)を前身とするが、1937年その内容を一新し、チョコレートを中心とし、写真を多用した斬新なレイアウト・デザインとともに、ファッション、映画、化粧などの記事を盛り込み「チョコレートの味のように(略)可愛らしい雑誌」を試みるようになった。森永製菓は1930年代前半より「健康美」を生む「モダン」で「希少な」菓子としてのチョコレート広告戦略の重要なキーワードとして「少女」や「映画」を掲げたと考えられ、その広告には、明治大学出身で新興写真家・堀野正雄(1907-1998)と組み写真によるデザインを手がけた今泉武治(1905-1995)、慶応大学卒で文案担当の新井静一郎(1907-1990)が大きく関わっていたとされる。彼らは、1937年からの『スイートランド』の企画・制作にも大きく携わったと考えられる。その内容は、少女・婦人・グラフ・映画雑誌を多分に意識したものであった。なお、この雑誌の制作者たちには、のちに国策プロパガンダの制作者集団・報道技術研究会(1940-1945)に加わり、戦前戦後にわたりモダン・デザインを牽引する面々が少なからず含まれており、対外宣伝雑誌『NIPPON』を頂点とする先端的なグラフィズムの流れを汲むものでもあったと考えられる。以上のような調査研究を進めることで、戦間期日本の製菓会社におけるPR誌という広告メディアの特性とそのデザインの特徴について、それが刊行された時代背景との関連を視野に含めながら検討を行う。この研究を行う意義として、第一に、特定のデザイナーという作者の立場ではなく、大衆に向けて広く購入してもらうことを志向する洋菓子商品、そして、デザインの発注者である企業を考察の中心に据えることで、戦間期の消費文化に広く浸透したと思われる大衆的なデザインの動向、大衆的なデザインと先端的なデザインとの関係性、大衆的なデザインが社会において果たした役割について描出することができると考える。第二に、こうした大衆的なデザインの動向を跡づけることで、機能主義的・合理主義的なデザインとは異なる、市場を活性化させ流行を創出し消費と結びつくモダン・デザインのもう一つのありように光をあてることができると考える。第三に、企業ブランドとしての広告戦略とそのデザインに注目することで、流行の創出と広告デザインの関係性や、戦間期の商品広告と戦時中のプロパガンダ広告との連続性についての一知見を提示する可能性をもつと考える。―51―

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