⑯池大雅研究―山形県内の作品を中心に―研究者:大阪大学大学院文学研究科招聘研究員現在山形県内に所蔵される池大雅(1723~76)の作品については、昭和32年(1957)から34年にかけて出版された『池大雅画譜』(中央公論美術出版)において主要な作品が取り上げられ、解説が付されていることが確認できる。一方で、これらの大雅作品は、昭和20年代後半から30年代にかけて山形県の文化財指定を順次受けていったものの、その後の大雅展で展示される機会はなく、2007年におこなわれたフィラデルフィア美術館での「池大雅と徳山玉瀾展」、2018年、京都国立博物館での「池大雅展」においても展示されることはなかった。またこれらの作品は、これまで個別の作品研究に発展することもなく、今日に至っているようだ。著書『池大雅』(春秋社、1967年)の中で、松下秀麿氏が山形県内の大雅作品について触れ、県内に大雅作品が多いことについて「地方における大雅作品としてはかなりまとまって遺存している点は注意したい」と述べておられるように、山形県内にまとまった大雅作品があることは極めて興味深い問題であり、その中には大雅研究において重要と思われる作品を含んでいることから、これらの作品研究は今後の研究に残されている大きな重要課題といえよう。なお県内の大雅作品中には、明和8年(1771)に寒河江の蕉門美濃派の俳人、安孫子東岡(1742~1813)が伊勢詣の帰りに京都の池大雅の元を訪ねて直接依頼したと見られる絵、書を含んでいることも注目される。安孫子家の子孫宅に残る『道中小遣帳』に、大雅の元へ訪問した時期、また画料の一部について記載があることは、明和8年における大雅と安孫子東岡との接触の事実を証明するものであるし、安孫子家に伝来したその他の作品については、明和8年を制作時期の一つの基準として見ることが可能である。前出の松下氏著書によれば、『池大雅画譜』掲載作品や県指定文化財となっているもの以外にも、安孫子家に伝来した大雅作品が複数あるようであり、これら未紹介作品も拝見する機会を得られればぜひ調査報告したいと考えている。本研究においては、かつて紹介され、県指定文化財となりながら、その後研究されることがなかった山形県内の大雅作品群について、できるだけ調査または見学の機会を持ち、明和8年という時期に大雅が山形から訪ねてきた蕉門俳人らとどのような関わりを持ち、どのような作品を描いたのかを明らかにするとともに、これまで詳しい研究がなされることのなかった山形県内に所蔵される大雅作品の位置付けと評価を―52―濱住真有
元のページ ../index.html#67