近代日本画を、その代表格の一人である大観で振り返ろうとしたとき、新機軸となる、いわば代表作が中心となってきたのである。そして、それら代表作には、当時の批評や大観の談話といった新聞雑誌記事などの一次資料が豊富に確認できるのである。しかし、明治から戦後にいたるまで大観が与えた影響や交流した人物は文芸界にとどまらず、近代日本の社会と密接につながっている。画業はもはや代表作だけでは捉えきれず、出品作以外の概要をまとめることも必要である。さらになりわいとしての側面からも掘り下げ、検証していくべきであろう。この大観の膨大な画業を大別するならば、公募展、展示即売、個人(団体)からの依頼の三つに分けることができる。そして、公募展への出品を、より自発的な制作活動、新機軸の発表の場と捉えた時、展示即売や依頼のための制作は公募展とは目的を少々異にし、なりわいとしての要素が強いともいえるだろう。これら公募展への出品作以外の制作に関しては、近年、大観への制作注文台帳「依頼画控」(横山大観記念館蔵)の精査がすすみ、大観が依頼による制作を相当数手がけていたこと、その中には画潤を受け取らず寄付をした作品があることなどが判明した。「依頼画控」の記録は1925年から1957年までと限られているものだが、その中でも寄付とされているものがおよそ150件確認されたのである。また、寄付作品の一部には地方団体や教育機関、神社の依頼によるものがあり、当時と変わらず保存・鑑賞されている例もあった。とくに襖絵や天井画、巨大な額装の作品などは外部へ持ち出されることもなく、依然その場所で鑑賞されているのである。判明している主だった例をあげれば、《朝陽之図》(日光東照宮社務所)、《富士》(読売新聞社社屋講堂)、《龍》(下谷神社拝殿天井絵)などである。このように、作品とあわせて依頼背景や目的といった来歴が確認できる可能性が高い点においても、寄付画の調査は有効である。さらに、来歴の中には口伝のみで確認されている例もあり、事情を知る関係者が世代交代をしていることなどから調査は緊急を要するといえる。あわせて、依頼者(団体)と、これに応えた作品をまとめることは、鑑賞する側が望んだ近代日本画の在り方、役割をも明らかにできるだろう。依頼画や書簡といった一次資料に基づいて具体的なデータを整えることで、当時の日本画の需要と、おそらくは現在とは異なる日本画家の仕事振りをも確認したい。―59―
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