鹿島美術研究 年報第37号
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絵画、彼の言うところの「古い絵」の伝統や思想を参照し、自分の中に伝統を作ろうと試行錯誤していたという。彼は少年時代より日本で出版された美術全集などを通じて、西洋古典絵画に親しんできたが、1938年に7ヶ月間ヨーロッパに滞在した際に西洋の古今の作品を見た経験と、帰国後の思索が麻生の作品を大きく変えた。これまで、麻生の戦時下の作品は、彼の転換期にあるものとして重視されてきたものの、この時期に彼が関心を寄せた西洋古典絵画からの影響関係について具体的に検証されてきたとは言い難い。その際、麻生が西洋古典絵画をそのまま再現することを目的としたわけではないという点に注目したい。彼はヨーロッパから帰国した翌年、福沢一郎をはじめとする画家たちが結成した美術文化協会の創立に参加した。同会はシュルレアリスムをはじめとする前衛美術を標榜していた。そのため、黒い背景に人物や静物を写実的に描いた麻生の作品は、当時の展覧会評によるとクラシックな傾向を持つ作品、他の作家の作品とは異質なものとして受け取られている。当時、麻生は美術雑誌の中でギリシアへの憧憬について告白するなど、古典古代美術に関心を持っていた。確かに、1940年頃に発表された作品に描かれたモチーフや技法はクラシックなものであった。しかし、麻生の言葉やその後の作品の展開を見ると、彼は西洋古典絵画を参考にしながら、前衛精神を持って制作に向き合ったと考えられるのではないか。共に美術文化協会展に出品し、池袋のアトリエ村に暮らした画家の吉井忠の日記の中には、麻生と西洋古典絵画のグラビア図版や画集を貸し借りしながら学ぶと同時に、自分たちの新しい絵画を作ろうと議論を繰り返す様子が記されている。今回の調査では、麻生が戦時下に描いた油彩画に加え、スケッチなども実物や図版で探し、作品の変遷をまとめたい。そのうえで麻生がヨーロッパから持ち帰った西洋古典絵画の画集を調査することで麻生が帰国後も日常的に参考にした作品を明らかにすることができる。また、麻生の西洋古典絵画に対する考えは、麻生の『イタリア紀行』や彼が美術雑誌などに寄稿したエッセイ、吉井の日記に記された発言などから知ることができる。この当時の麻生の作品や思考、仲間たちとの議論を、西洋古典絵画をひとつの切り口として確認することにより、麻生の作品の転換期とされる戦時下に麻生が「古い絵」から何を学び、それを元にどのような考えを持って制作を続けたのかを明らかにすることができる。戦時下の麻生の西洋古典絵画に対する憧憬について研究することは、麻生の画業全―63―

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