鹿島美術研究 年報第37号
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これら近世の日中画譜は、日本絵画史上でどのような役割を果たしたのだろうか。先行研究を概観すると、まず、中国からの舶載画譜については主に文人画の成立・発展の礎としての観点、和製画譜については浮世絵への影響に重きを置いた観点で言及されることが多い。しかし、それ以外の広い絵画分野での検証例が(特に和製画譜において)不十分である。俵屋宗達や曾我蕭白など数名の絵師が構図や人物のポーズを転用した例などが指摘されているが、いずれも一部作品の類似が例示されるに留まっている。筆者はこれまでに、①若冲が春卜絵本のモチーフを抜き出した上で独自にブラッシュアップさせ作品に生かしていること。②《乗興舟》や一連の歌仙絵などの若冲作品に橘守国、西川祐信の絵本との類似性があること。③単なる図像の転用に留まらず、鑑賞者がもととなる絵本を知っていることを前提とした見立てや謎解きの趣向があること。などを指摘してきたが、未だ十分数の画譜・絵手本を検証できていない。また先述の舶載画譜および春卜・守国らの絵本では図版以外に作画理念などを文章で記した画論部分も重要な構成要素である。しかし、概念ごと日本に伝えられた文人画の研究例を除き、画譜の影響を探る先行研究のほとんどが構図・モチーフの形態転用など図版部分からの影響関係指摘に終始し、画論部分の摂取・理解の実態はいまだ検証不十分である。大量生産が可能な版本という媒体は、比較的安価で手に取りやすく不特定多数の目に触れやすいという特性上、単に絵画制作の手本とされるだけではなく、作品の作者と注文主・鑑賞者などが同じ知識を共有しやすいという利点を持つ。これらの出版物によるメディア革命が、日本美術にどのように影響したのか、まずは伊藤若冲を通じて出版文化と美術との関係を探ることが筆者の研究テーマである。本研究の構想・期待される成果本研究は当時流入していた中国の画譜・画論や、それを元に発展した日本国内の画譜・画論の内容を包括的に整理し、それらを若冲周辺がどう理解し制作に反映させていたかを明らかにすることを目的とする。この研究を進めるにあたってはまず、以下の二点が課題となる。―71―

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