鹿島美術研究 年報第37号
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作品に基づく美術史構築のケーススタディ―大村西崖の中国調査作品図版の研究―①文献資料の不足②若冲派の実態調査の不十分本来、絵師の習画過程や作画理念を理解するには、当人および弟子などによる著作物や画稿・粉本類が大きな役割を果たす。しかし若冲晩年に起きた明暦の大火の影響もあり、若冲に関しては現存する文献資料や粉本類が著しく少ない。さらに、現在、若冲には数名の弟子がいたことが分かっており先行研究により作品調査が進められているがやはり資料に乏しく、「若冲工房」における絵画教育についてもいまだ解明すべき点が多い。本研究では若冲・若冲派作品の分析のみならず、若冲が連なる18世紀京都・上方の文化人ネットワークの中から大典顕常や売茶翁に代表される知識人の著作の分析を行う。それにより、画論を含む当時の中国文化理解の実態などを洗い出し、絵画作品と文献の相互関係を議論する。以上の工程を経ることにより、いまだ謎の多い伊藤若冲の習画過程や制作理念があきらかになり、ひいては江戸絵画における日中の画譜・画論の受容、出版物を介した情報共有の実態を解明する大きな一歩となる。以上より、本研究課題は、近世における出版文化の研究と美術研究とをつなぐ架け橋となる、縦断的で他に例の少ない研究であると言える。研究者:インディペンデント・スカラー現在、日本の美術史学史において、大村西崖は正当な評価を得ているとは言い難い状況である。この状況に一石を投じることがこの調査の目的の一つである。筆者の把握に依れば、美術史学者大村西崖は生涯において二度、体系的な中国絵画史を著述している。それは明治43~45(1910~12)年の『東洋美術大観』支那画の部と、大正14(1925)年の『東洋美術史』に含まれる中国絵画史である。両者の内容は同じではないが、その最大の相違は、前者が専ら室町時代以来の「古渡」作品に基づくのに対し、後者は現在世界的に認められる正統的中国絵画の名品を参照している点に求められる。前者は初めて成立した近代的体系的中国絵画史という意味で画期的な―72―後藤亮子

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