著作ではあったが、今日的観点からすれば、時代的制約により依拠する作品に極端な偏りがあったことは否めない。一方、後者ではその欠点が改められていると言える。両著作の間に西崖は中国旅行(1921年~)を敢行し、内府を含む主要な収蔵家を歴訪、数千枚の中国絵画を調査して、750枚に及ぶ名品の写真撮影を行った。そうすることで、自身の従来の中国美術観を修正すると共に、日本に正統的中国絵画の名品の図版を大量にもたらし、日本人の中国絵画に対する見方を刷新したのである。にもかかわらず、日本における中国美術史学の歩みを振り返る古原宏伸氏や小川裕充氏らの論考において、大村西崖は中国美術史学の開拓者としての地位を認められていると言い難い。宮崎法子氏は西崖に一定の評価を与えながらも、その美術史は「作品には必ずしも基づかない」「ほとんど作品抜きで語られた」通史とする。このような評価の一因として、これまで西崖の中国旅行における中国絵画調査の全貌が明らかになっておらず、西崖の美術史が具体的な作品図版に立脚していることが認知されていなかったことがあると思われる。20世紀初期において作品図版を所有することは研究のリソースを掌握することであったから、西崖が中国で撮影し持ち帰った作品図版を精査し、作品と言説の関係を見直すことは、美術史学者としての西崖の再評価につながるだろう。西崖が中国から持ち帰った750枚の図版は、調査ノートに相当する中国旅行日記と共に晩年の『東洋美術史』の重要な基礎データとなったが、これらの図版を今日の世界の中国絵画コレクションの中に具体的に位置づけていくことにより、西崖の『東洋美術史』における中国絵画史の真価を具体的に評価することが可能になると思われる。なお、西崖が中国絵画の調査研究をした1921年末~22年初頭(第1回中国旅行)当時、その後日本に伝わることになる中国絵画の名品の数々はまだ中国にあった。西崖の調査は近代の中国絵画大移動直前の記録としての意義を有しており、それらの作品がその後どのように移動したかを辿ることは、中国美術史の基礎的研究としてもそれ自体の意義を有するものである。また、大正~昭和初期にかけての近代日本における中国絵画コレクションの形成に関しては、関西中国書画コレクション研究会により充実した研究が展開され、内藤湖南や長尾雨山らの貢献が明らかになっているが、大村西崖の寄与に関する視点は抜け落ちているのが現状である。西崖の中国旅行当時、元以前に遡る一流の作品は未だ本格的に流入していなかったので、西崖の研究はコレクションの形成に先立つものと言―73―
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