鹿島美術研究 年報第37号
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明治・大正期における中国書跡の受容に関する研究―「東洋趣味」の観点から―える。西崖が持ち帰り東京・大阪で公開した作品図版の精査を通して関西中国書画コレクションの形成における大村西崖の寄与という新たな視座が提供できれば、この分野の研究もまたさらに深まることが予想される。研究者:五島美術館学芸員佐々木佑記本調査は、明治大正期における中国書跡の受容のあり方を、美術史の様相をふまえ考察することを目的とする。日本における書跡の表現は中国書跡の受容とともに変遷を遂げてきた。とりわけ明治から大正にかけては、清朝から楊守敬(1839~1915)が来日を契機として、これまで知られなかった碑刻法帖の拓本が流入した頃で、中国書跡に対する認識や書の表現方法が大きく転換した時期である。また、「美術」をめぐる制度が構築されていくなかで、書の価値そのものが模索された重要な時期である。中国美術史においても辛亥革命以降、中村不折、阿部房次郎(1868~1937)、高島菊次郎(1875~1969)など重要なコレクションが形成された。書道史においては日本が近代化を遂げていく過程で、絵画等の影響を受けながら、新たな美意識や風潮が芽生えたことが指摘されながらも、先行研究は僅少である。近代日本において「美術史」が構築されていくなかで中国書跡がどのように受容されていたのか。これまで指摘されてこなかった美術史との関わりも視野に入れながらその実態の一端を明らかにする。これにより、近代日本における中国書跡の受容の一側面が明らかになり、書道史ひいては美術史全体の研究も一段と進むことが期待できる。近代における中国美術の受容については、近年、関西書画コレクション研究会による一連の調査研究(国際シンポジウム報告書『関西書画コレクションの過去と未来』2012年他)によって、着実に成果が積み重ねられてきた。特に、関西一円の蒐集家の指南役として重要な立場であった内藤湖南についての個別研究は著しい。宇佐美文理「内藤湖南の絵画論と阿部コレクション」(「生誕150年記念 阿部房次郎と中国書画」開催記念国際シンポジウム報告書、大阪市立美術館、2019年)、鄧徳民『内藤湖南と清人書画』(関西大学出版部、2009年)は、内藤湖南が中国書画に「東洋美術」とし―74―

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