鹿島美術研究 年報第37号
90/154

近世初期風俗画における大坂の都市と祭礼―堺を描く住吉祭礼図屏風について―ての優位性を主張していたことを指摘する。また、近代日本における中国美術の認識については、久世夏奈子「『國華』にみる新来の中国絵画―近代日本における中国美術観の一事例として―」(『國華』1395号 第117編 第6冊、2012年)などで分析が試みられているが、書跡における実相は明らかではない。また近代における「東洋」をめぐる問題については、絵画史等の側面から調査研究がなされてきたが、書に関する先行研究は皆無である。明治以降、美術史の編纂にともない、瀧精一『東洋図鑑』(國華社、1909年)等が出版され、「日本」と「東洋」の概念規定が探られていく(木下長宏「美術史の編纂」(『日本近代美術史事典』東京書籍、2007年)。東洋的価値が模索されていくなかで、中国書跡がどのように位置づけられていたのか、その実態を明らかにすることができれば、中国書画の受容そのものの研究の進展にもつながるものと考えている。研究者:堺市博物館学芸係長大坂を舞台とする近世風俗画は遺作に乏しいのが実状であるが、脇坂淳氏が「大坂を描く諸屏風の脈絡」(『大阪市立美術館紀要6』1986年)において遺作を網羅して論じられた後、少しずつ新たな作例が見出されてきた。大坂の風俗画に、住吉大社は遊楽や祭礼の場として頻繁に登場する。一双の屏風に住吉大社と四天王寺を描く作例が多い中、堺市博物館蔵「住吉祭礼図屏風」(六曲一双)は、住吉大社と堺の町に所在する住吉大社の御旅所とを組み合わせ、住吉祭の神輿渡御の行列を描く唯一の作例として知られてきた。制作年代は、一群の住吉祭礼図屏風の中でも比較的古く、元和・寛永頃と考えられている。このたび、新出のサンフランシスコ・アジア美術館所蔵の「住吉祭礼図屏風」(六曲一双)は、一方の隻に住吉大社を描き、もう一方の隻に堺の町を住吉祭の神輿行列が御旅所までお渡りする様子を描く。堺市博物館本と同じ組み合わせであるが、図様は異なり、行列の構成や豊かな風俗表現から、堺市博物館本より景観年代・制作年代が遡る可能性があり、詳細な検討が必要である。堺は戦国時代から近世初期にかけて日本を代表する都市の一つであったため、堺市宇野千代子―75―

元のページ  ../index.html#90

このブックを見る