鹿島美術研究 年報第37号
93/154

海外の日本庭園―フランスの例を芸術学の視点から―主義への移行が起こっていた。本研究では、従来のピサロ研究で看過されてきた文学界の動向やポスト印象主義からの影響という新たな視座を導入し、ピサロが観念や精神性を重んじる同時代の文化潮流をどのように受容し、それを印象派画家としての理念にいかにして適合させていったかを考察する。また(2)に関しては、1880年代から1890年代初頭に手掛けられた作品を取り上げ、各作品に表されたピサロの思想世界の実態に迫る。とりわけ注目されるのは、画家が傾倒していたアナーキズム思想との関わりである。無論、ピサロが政治思想を表明するための手段として絵画制作をしていたとは考え難いが、彼にとってアナーキズムは、社会思想という範疇を越えた生き方や倫理観、芸術観に関わる思想であった。したがって、思想世界の表現を試みた彼の絵画作品に、アナーキズム思想が何らかの形で影を落としている可能性は十分に考えられる。この見地に立ち、ピサロの作品群とクロポトキンやプルードンらによるアナーキズム言説との比較検討を行う。最後に(3)に関して、ピサロ自身が内的な世界像を表すのに適した絵画様式・制作手法としてどのようなものを想定していたかを考察する。ピサロは芸術理念の変容を経験する1880年代に、多様な絵画様式の開拓を試みた。本研究では当該時期の作品が有する様式的特徴やその制作手法を分析する。研究者:国際日本文化研究センター助教海外に作られた日本庭園は、現存するものとしないものを合わせて少なくとも400以上に上るとされ、20年ほど前から学術研究対象として関心が高まっている。これらの庭園は19世紀中期からその存在が確認されていたものの、長年日本国内にある庭の模倣にすぎないという認識のもと日本でも現地でも注目されていなかった。近年になって、アメリカと西ヨーロッパに現存する古い日本庭園の歴史的価値が認められ、さらには、最近作られた庭も含めその全体が、文化交流史の研究対象として、またグローバル化が進む世界の中でこれからの日本文化を定義していくための媒体の一つとして、国内の日本庭園とは区別して存在意義が高まりつつある。これまでの研究は、造園学の専門研究者を中心に行われ、それに日本文化研究などの他の学術分野の方法論と思想、実際に設計、修復、保存管理をする人々の証言と提案が加わって発展してきた。―78―松木裕美

元のページ  ../index.html#93

このブックを見る