鹿島美術研究 年報第37号
95/154

琉球の絵師―琉球処分期を中心に―研究者:早稲田大学総合人文科学研究センター招聘研究員一般的に「日本美術史」の枠内において、琉球の画家や作品が扱われることはほとんどない、といって良いでしょう。その一例として、昭和2(1927)年に編纂された平凡社の『世界美術全集』において、琉球の美術は所謂「日本美術」とは異なるジャンルとしてミャンマーの美術などと並列されて紹介されております。こうした事例から琉球において生み出された美術は「日本美術」の範疇に収まらないジャンルとして定義されてきた、ということが伺えます。また、これまでの調査で明らかになっているように、琉球の画家達の一部は内国勧業博覧会や日本美術協会などの博覧会や展覧会に作品を出品しております。こうした事例について筆者はこれまで、多少の調査は行って参りました。しかし、沖縄の近代美術についての言説を振り返ると、こうした王国末期から活動していた画家や絵師についてはほとんど触れられていない、というのが現状であります。そうしたなか、2009年に沖縄県立美術館・博物館にて「琉球絵画展」が開催されました。本展は琉球王朝期に活動した画家や絵師等にスポットを当てた画期的な展覧会であり、王朝末期に活動した画家や絵師についての基本的な情報が提供され、彼等を歴史上に浮かび上がらせる役割を果たしました。本研究はそうした先行する研究を踏まえ、琉球の画家や絵師を日本美術史の言説に位置付けられるのか、という問いから着想されたものであります。申請者はこれまで近代美術における沖縄イメージの形成とその展開について研究を進めて参りましたが、琉球王国末期の画家や絵師の動向については、沖縄で発刊されていた明治期の新聞資料から僅かにその相貌が伺える程度で、はっきりとした動向については不明な部分が多く残されております。そのため、本研究の最初の目的としては、先行研究等を基に琉球王国末期の沖縄において、どのような絵師や画家が存在し、彼等がどのような活動を行っていたか、という点について確認します。具体的には、内国勧業博覧会や日本会画共進会の出品目録等を基に、彼等がどのような作品を生み出し、そしてそれらの作品がどのように評価されていたのか、という点を中心に調査を進めます。また、本土で発刊されていた新聞資料や美術雑誌における作品についての言説も拾い出す必要があります。特に新聞資料の調査には時間が掛かることが予想―80―奥間政作

元のページ  ../index.html#95

このブックを見る