図は、いまだ明らかにされていない。今日の定説を、図像の意味を明らかにしたうえで、再考することが望まれる。筆者は、こうした状況を受けて、本作の図像分析を行い、それが当時の松前藩のみならず、朝幕関係などの江戸や京都の政治状況とも密接に関わる可能性を指摘した。しかし、本作の図像がそうした政治的思惑を含むという筆者の解釈は、本作の絵画形式が屏風を意識したものであるという推測に基づくものである。文献記録や実見調査を踏まえて、絵画形式の特徴が明らかになれば、この研究成果をより説得力をもって提示できると考える。【価値】第一に、美術史研究において、絵画形式との関わりから図像の意味を明らかにする調査研究は歴史が浅く、いまだ事例が少ないため、本研究をその有効性を示す一助にしたいと考える。また、本研究は、近世の人物画の解釈に再考を促すものでもある。このことは「構想」で詳しく述べる。また本作の図像と政治的思惑の関わりがより説得力をもって提示されれば、本研究は美術史研究のみならず、近世史、とりわけ北海道史や、朝幕関係史においても、有用なものとなる。【構想】 本研究を踏まえて筆者は、近世の人物画を再考していくことを考えている。本作で蠣崎波響は、人物のポーズや配置、衣服の色や文様に、先行する文学や絵画を想起させるための仕掛けを織り交ぜている。とりわけ屏風という絵画形式の法則や前提を踏まえて、人物の図像に多重のイメージを内包させていた。こうした特徴は、本作あるいは波響のみにとどまるものではなく、近世の人物画に共通のものであった可能性がある。そうした観点で、筆者はすでに曾我蕭白の《群仙図屏風》の図像解釈に取り組んでおり、その成果を学会発表や論文で報告している。本研究を基盤とし、この試みを敷衍していくことを構想している。―82―
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