鹿島美術研究 年報第38号
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小画面平家絵の研究『平家物語』絵研究の課題道中記」においては、架橋状況、人力車の普及状況、各種の新しい講、そして廃城になった城は描かないなど、比較的風景の情報の整合性が取れていることからも、どこかのタイミングで東海道に出かけていた可能性が十分に考えられる。三代広重の画帖を調査することで、実際に各地まで足を運んだことが明らかになれば、より描かれた景観にも説得力が生まれる。そして、明治初期の交通や物流、道路行政においても重要な資料となりうるだろう。また、塩谷純氏によって、ウィーン美術史美術館所蔵の、1873年にオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世(在位1848-1916)へ贈られた画帖を、三代広重はじめ6人の絵師が手掛けたことがわかっている。更に故宮博物院にも同様の画帖が存在するらしいことから、御用絵師としての立場で、明治初期の国際的な交流の一助となっていたことも伺えるのである。三代広重の作品を収集分析し、新たに調査を行うことで、三代広重の画業をより解明することだけにとどまらず、交通や物流、道路行政、国内の産業などの分野や、国際交流の実態についても明らかにできることが期待される点からも、意義ある作業といえる。研究者:海の見える杜美術館学芸主任『平家物語』は軍記の最重要古典であり、これを主題にした絵画作例も多い。源氏絵、伊勢絵などと同様に、日本美術の主要絵画ジャンルとして、時系列に沿ってその展開を把握すべき主題と思われるが、美術史においてその絵画を総合的に論じることが十分に行われてきたとは言えない。これまでに『平家物語』をテーマにした展覧会もたびたび開催されてきたが、多くは源平合戦自体に対する興味か、あるいは登場人物とそのエピソードの紹介を主眼としている。そのような状況の要因のひとつは、中世の絵画作例が極端に少ないことであると考えられる。中世の『平家物語』絵については、記録には14世紀前半からその存在が知られるものの、作例が少ないこともあって、十分な理解がなされていない。また、もうひとつの要因に、現存作例の多い一ノ谷や屋島などを舞台とした合戦図ばかりが注―94―谷川ゆき

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