興福寺旧食堂の千手観音菩薩立像の像内納入品について研究者:奈良国立博物館アソシエイトフェロー、ため、経済再建、農業奨励、パリの街整備など、幅広い政策に従事しながら、優れた政治手腕を発揮した。アンリ4世は、そうした社会的な取り組みのなかで美術を巧みに利用し、文化を保護した国王として知られているものの、政治史における彼の比重に比べれば、その芸術面は未だ分析の途上にある。本研究では、アンリ4世時代の美術の様相について、タピスリーという、既存の研究では十分に顧みられずに残されてきた領域に光を当て、その再評価を試みる。この点において本研究は、学術的にも新たな試みとして、価値を見出すことができる。また、この時代のタピスリー事業は、のちの王立ゴブラン製作所の礎となったという点でも注目に値する分野である。絢爛たる絶対王政の時代、そして革命以後の多彩な煌きに繋がる、フランス近代のタピスリー美術の原点の調査研究としても、興味深い一例となるだろう。カリフォルニア大学バークレー校大学院博士後期課程従来、像内納入品として、灌頂と結縁という二つの目的がよく説明されてきた。仏像の完成の際に、特別な儀式が行われ、魂を像にこめる。像の霊験性から供養的な意義までを指し示す信仰自体に密接に関わる影響が考えられる。仏像の内部に納められたものには、貴重で仏像に霊性を与える意義を持った物や、同様の経典や願文や、いわゆる結縁交名といわれる造像に協力した人の名簿や仏教舎利などが像内に納められる。像内納入品は、日本で知られている最初の作例である平安末期頃からしだいに盛んになり、やがて鎌倉時代で像内納入品という行為は、多種多様になった。日本における像内納入品の風習は、印度に始まったのものが、中国において、種類を増して、日本におよび、朝鮮半島においてさらに、そのバリエーションが生まれたのだ。代表的な作例は清凉寺に安置されている釈迦如来立像及びその像内納入品である。最近、米国にも、「像内納入品」に対する関心が高まることによって、異文化交換の視点からみる体内品の研究が始まった。筆者は、日本における風習を映し出されている一つの作例を中心にするのと同時に、こちらの仏像に見られる東アジアにおける「仏像」―100―LEWINE Mary
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