鹿島美術研究 年報第38号
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と関連して信仰及び伝来された儀式の発達について注目する。奈良・興福寺の旧食堂に安置されている千手観音菩薩立像(像高520.5)には、長い制作経過が平安末期から鎌倉時代にかけて、胎内に像内納入品が納められた巨大な仏像である。本像が国宝を指定された際に行われた調査で、体内品を発見された。像内納入品の中にあった『般若心経』の銘文は健保5年(1217)に書いた。そして、『梵字千手千眼陀羅尼』にな、寛喜元年(1229)と書かれて、したがって、制作時期が推作されることができる。本像の体内品が含まれているものは、梵字千手観音小呪鏡(全高13.5、直径11.6、台座高3.6)、観音菩薩像(銅造・鍍金全高27.5、像高24.0)、五輪塔(木製・彩色全高約20)、色々な種類があるが、注目したいのは、像内納入品としての印仏である。本像には、多数のスタンプ式の小型の版画である印仏を見つけられて、二種類だったと分かった。毘沙門天の印仏(820枚)と千手観音菩薩の摺仏(2428枚)について分析することによって、印仏という媒体が宗教的行為においても物質文化においても、どのような意義があるかと考察しようと思う。像の製作を完成するため、人々は寄付をして、寄付が記録されている印仏が集められた。像を制作し終わった時、印仏が像に納められたのだ。仏像の堂々とした姿勢で、たっぷりした肉付きに対して、印仏の千手観音菩薩は足もとが軽やかに表現されており、浮かんでいるように見える。印仏とお像を比べて、図像とスタイルの異なる点について考察したい。仏像の姿形は、量感があり威圧感が圧倒的で、動きの少ない体つきがあるが、力も感じられる。体つきに着目しながら、印仏の千手観音とを本体像と比べると、どのような違いが見えるだろうか?印仏と仏像の持物は同じだろうか?確かに、これは印仏の歴史資料として重要性が高い資料といえるだろうか。印仏から本尊のもともとの図像について想像することができる。仏像の制作状況をはじめて、像の成立年月日と発願者名などから、図像学の様相、当時の経済と社会構造、歴史上の大切な人物の信仰についてまでを物語る機能をもつ、像内納入品としての印仏はとても大切な資料である。筆者が像内納入品、特に体内品である印仏を詳しく分析して、本像の歴史・制作文脈を明らかにし、そして像に反映されている中世仏教徒の信仰や観念、木造の仏像を木彫で製作する場合、仏像の中に空間が生まれ、像の内部はいわば「聖地」のようになった。鎌倉時代の人々が千手観音立像をどう見ていたかが分かれば、当時の人々の仏教の宇宙観および地理観も理解することができ、日本という地域性を仏教世界においてどう考えるかがわかるヒントになると思われる。他の像内納―101―

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