⑥天福寺奥院木彫群の基礎的研究果をもとに、絵画論を再考察することは、十分取り組むべき課題であると考える。《原爆の図》を常設展示している原爆の図丸木美術館は、老朽化に伴い改修工事(2022年以降)を予定し、長年にわたり国内外の巡回展を続けてきた同作品は経年劣化・損傷等が顕著であり、今後の作品管理・修復事業を行う上でも、絵画構造を形成している材料学の視点をもつことは重要な取り組みである。また調査結果を通じて、作品の所蔵や展示における保存環境の解析、修復方法や保存方法の選定等にたいして、効率かつ効果的な蓄積データが確立できると考える。さらに、丸木夫妻独自の創造性と実験的な絵画表現の試み、戦後日本美術に与えた影響を俎上に乗せながら、美術史的文脈における再評価の可能性を再検討することが目的である。それは、後世に継承するべき《原爆の図》絵画論復権の取り組みである。本研究の成果発表は、原爆の図丸木美術館の展覧会、シンポジウム等の開催を通じて一般公開し、多くの人びとに触れてもらいたいと考えている。研究者:福岡市博物館主任学芸主事(学芸員)末吉武史天福寺奥院は大分県宇佐市にある岩窟寺院(岩屋堂)であり、内部には70躯余りの仏像が伝えられてきた(現在は一部が大分県立歴史博物館に移管済)。その中には8世紀に遡る塑造の三尊像残欠が含まれているが、大半は如来像や菩薩像、吉祥天とみられる天部像などからなる一木造の木彫像であり、中には蓮肉から台座心棒を彫出する菩薩立像や土製の螺髪を植え付けた如来立像など、著しい古様を示す像が散見される。これらの木彫群については久野健氏や八尋和泉氏らの先行研究があり、概ね古代の宇佐地方で開花した仏教文化のその後の展開の中で位置付けられ、9世紀後半から12世紀という一定の幅の中で制作され、寺院の廃絶等によって奥院に集まったと考えられてきた。しかし、近年大分県立歴史博物館が実施した放射性炭素同位体による年代測定では、木彫像の大半が8~9世紀という結果が報告され、関係者に衝撃を与えたことは記憶に新しい。これまで、九州における奈良時代の造像活動は塑像や銅像が中心であり、木彫像の出現は延暦年間に最澄が太宰府の竈門山寺においておこなった檀像薬師如来の造像ま―23―
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