鹿島美術研究 年報第38号
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⑪東京美術学校出身者による学術見本の制作に関する調査研究今回の調査は、田中信太郎を研究対象とする者は勿論であるが、上記した問題を始めとして、日本の戦後美術やデザインを研究する者にとって有効なドキュメンテーションとなると確信している。また、本調査によって分類した田中信太郎の資料を元に、上述してきた問題を考察する文書も併せて掲載した書籍を刊行することを含めて、今回の調査研究の結果報告を行うことを考えている。研究者:東京藝術大学教育研究助手本研究の目的は、東京美術学校(現・東京芸術大学美術学部)の卒業生と教員による学術見本の制作状況の一端を明らかにすることにある。ここでいう学術見本とは、博物館や大学の教育研究の中で生み出された見本・模型・参考図等を指す。近代日本の学術界を担った東京帝室博物館(現・東京国立博物館)や東京帝国大学(現・東京大学)では、各種の見本・模型・図画・剥製等が、教育研究上の参考利用を目的に数多く制作されている。そして、それら学術見本の中には、専門的な美術教育を受けた芸術家の手になる作例が見受けられる。本研究では、学問を支える担い手としての芸術家、とりわけ1887(明治20)年に美術の専門教育機関として創設された東京美術学校の出身者と学術分野との関わりに着目する。東京美術学校の近くに位置した東京帝室博物館と東京帝国大学の両機関において、東京美術学校出身の芸術家がいかなるかたちで実技制作に携わり、博物館や大学における教育研究活動をどのように支えたのかを明らかにしようとするものである。東京美術学校の歴史や関連人物については、日本近代美術史研究における長年の研究実績がみられる。東京美術学校史や同校の依嘱製作を研究した吉田千鶴子氏は、同校教員や卒業生が官民からの依頼を受けて作品制作を行っていた実態を明らかにした(『東京美術学校の歴史』1977年他)。佐藤道信氏の論考では、東京美術学校の古美術教育と連動しながら、東京美術学校出身者によって東京帝室博物館の模写・模造がなされたことが指摘されている(『模写・模造と日本美術―うつす・まなぶ・つたえる』東京国立博物館、2005年)。しかし、博物館や大学の中で学問を支える側として、みずからの描画や造形上の技術を駆使して活動した東京美術学校出身者の実態について―31―蔵田愛子

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