⑫クチュリエ神父の「聖なる芸術(アール・サクレ)」運動とアッシー教会(2)無神論者リシエ作キリスト像への非難と撤去は不明点も残されており、今後のさらなる研究の深化が期待される状況にある。本研究では、上記の主要先行研究を参照しつつ、学術見本の制作に東京美術学校出身者がどう介在したのかを、複数人物の足跡を辿りながら考察する。ここ十数年の間に、国内外の各機関において文書や簿冊の公開、美術作品や一次資料のデジタル公開が進展している。学術見本は無記名で作られることが大半だが、文書や日記等を詳細に閲覧・解読することによって、学術見本の制作者を特定できる可能性が見込まれる。近年公開の進む一次資料から新たな知見を得るとともに、先行研究の再検証を行うことも欠かせない。さらに、より個別の調査研究として、学術見本制作に携わった東京美術学校出身者に関する資料調査を進める。東京美術学校の教員を務めた長原孝太郎(1864-1930)、同校日本画科出身の高屋肖哲(1866-1945)、同校彫刻科を卒業した巽一太郎(1906頃-没年未詳)、同校西洋画科卒業の佐藤醇吉(1876-1958)・田中寅三(1879-1961)・盬見競(1879-1922)に関する資料調査および関連文献の再検証を実施することで、彼らが博物館や大学とどう関わり、学術見本の制作に向き合ったのかを考察する。東京美術学校出身者による学術見本の制作状況に着眼する本研究は、日本近代美術史研究に学術見本という研究対象を加えるとともに、今日ではあまり知られることのない作り手の存在と活動に光を当てる試みとしての意義をもつ。研究者:西南学院史資料センターアーキビスト・学芸員アッシー教会は、20世紀を代表するモダニスムの巨匠たちがはじめて本格的に教会装飾に携わった記念碑的教会である。アッシー教会における以下の問題は、キリスト教美術史上、重大な出来事である。(1) 非キリスト教徒(無神論者、コミュニスト、ユダヤ教徒)の芸術家による教会装飾本研究では、20世紀のフランスでクチュリエ神父が中心となり、宗教芸術の刷新を目指して行われた「聖なる芸術(アール・サクレ)」運動とその成果としてのアッシー教会について考察を行う。アッシー教会の誕生は、ナショナリズムとグローバリズ―32―宮川由衣
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