鹿島美術研究 年報第38号
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⑭北斎の錦絵に関する基礎的研究たようなヨアヒム・パティニールの「世界風景」や、ヒエロニムス・ボスおよびピーテル・ブリューゲル(父)などの百科全書的な絵画にみられるパノラマ的鳥瞰視点の先駆けともみなせる。したがって、《受難伝》における図像の形成過程が明らかになることは、初期ネーデルラント絵画に特徴的な物語表現および風景表現が確立されてゆく系譜の重要な契機を理解することにつながるだろう。また、《受難伝》の図像形成を明瞭に把握することは、本作に期待された機能を類推し、その信仰実践を知る手掛かりになると筆者は考える。とりわけ《受難伝》とその図像源泉として有力な『サルッツォの時禱書』fol. 210r. に共通する表現は特筆に値する。この両作と、それ以前の連続場面的な受難図との決定的な違いは、二十を超える、あるいはそれに匹敵する小さな場面が描き込まれていることである。この場面数を可能にしているのは、それらの場面の器となるエルサレムの俯瞰的な都市景観である。建築群を円環状に閉じた両作の都市景観は、絵画の中にさらなる「内部」を作り出している。この表現は、キリストがそのエルサレムに開けられた城門から「入城」するとき、その動きに合わせて、観者自身が絵画空間へ「入る」ような想像力を強めていたのではないだろうか。また画面全体を通しても、広大な画面全体から詳細な部分に焦点化し、それらの場面を丹念かつ連続的に見てゆくとき、観者は絵画への没入感を得ることができると言える。そうすることで、観者はより一層「キリストの受難」に対する共感を高めていたと推察できる。またもし両作の基となったテクストが共通して存在するならば、《受難伝》における「霊的巡礼」の実態を理解することにも直結するだろう。研究者:秋田県立美術館学芸主事「冨嶽三十六景神奈川沖浪裏」は、世界的に知られる浮世絵師・葛飾北斎(1760~1849)の代表作であり、今なお国内外に様々な影響を与え続けている作品である。この摺りについて調査研究することの意義を以下に述べる。まず、「神奈川沖浪裏」の画像を可能な限り収集し、比較・検討することにより、「神奈川沖浪裏」の初摺りが明らかとなる。一般に初摺りには絵師の意向が反映されてい―「冨嶽三十六景神奈川沖浪裏」の摺りについて―秋田達也―35―

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