鹿島美術研究 年報第38号
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⑯20世紀前半の西欧の「宣教美術」にみるアジア・イメージ研究者:滋賀県立近代美術館学芸員本調査研究は、20世紀前半、特に1920年代~30年代を中心に西欧のキリスト教界でおこった「宣教美術」の流行と、そのなかにみるアジア・イメージを対象とする。「宣教美術(missionary art, indigenous Christian art)」とは、西洋人宣教師がアジアやアフリカの宣教地において作らせたキリスト教美術の一形態である。その土地の人の衣装や容貌で表されたイエスやマリアなどの宗教画のほか、その土地の伝統工芸の手法や素材で制作された教会美術がある。現地での布教の手段として用いられたほか、ヨーロッパへ持ち帰られ、博覧会での展示や出版物によって流布された。例えば、1925年にバチカンで開催された「布教博覧会」や、教皇ピウス11世によってラテラノ宮殿に置かれ後にバチカン美術館に移された「布教・民族学博物館」などにみられる。具体的には、イタリア人カトリック聖職者のチェルソ・コスタンティーニ(1876~1958)は宣教美術運動の中心人物のひとりであり、中国への教皇使節であった1920~30年代にかけて、中国画によるキリスト教主題の絵画を奨励した。彼の働きかけにより、画家・陳縁督(陳路加、1902~67)は、古典的な水墨画の技法により聖母子像や聖書の場面などを描いた。同様の作品は、北京の輔仁大学の美術グループを中心に制作され、現地での販売のほか、西洋にも渡った。こうした動きへの呼応は日本の美術界にも見られ、長谷川路可らの画家たちが、和服をまとった日本人の姿の聖母像などを描いた。1942年に予定されていたローマ万国博覧会(戦争により中止)では、世界各国のカトリック美術を集めた「万国布教美術展」が計画され、日本からは、友禅模様に菊と桜をあしらった日本趣味の祭服(ミサで司祭が着用する服)などが出品予定であった。このように、水墨画、和服姿の女性像、友禅模様など、東洋らしさのイメージが選ばれ、キリスト教的主題と融合されていったことがわかる。ここには、西洋人宣教師やコレクター側のまなざしと、彼らのまなざしの投影を受けて自文化の表象を創出し発信したアジア側の制作者との相互関係がみてとれる。本研究では、西洋人宣教師らのネットワークによる世界各地での「宣教美術」の創出の奨励と、それに呼応したアジアの美術家たちについて、当時の国際的な人と作品―38―古沢ゆりあ

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