⑰松花堂昭乗の書と料紙装飾―東京国立博物館蔵「和歌散書花鳥図屏風」を中心に―の移動と受容を、西洋での博覧会やコレクションといった場を手がかりとしてさぐってみたい。西洋近代の美術においてキリスト教美術はかつてのような強い力をもたなくなったが、そのなかにおいても上記のようなキリスト教美術の独自の動きがあった。ここには、当時の非宗教的な美術におけるジャポニスムやプリミティヴィスムのように、非西洋の造形表現を参照しその要素を取り入れる動きがキリスト教美術においてもおこっていたことが指摘できる。ここから見えてくるのは、アジアの造形をキリスト教美術に取り込むことで宣教の成果を示したい西欧側と、西欧近代と対峙するなかで自らの伝統文化の表象を再創出していくアジア側との間の、表象とアイデンティティをめぐる文化交渉である。研究者:八幡市立松花堂庭園・美術館主任学芸員①その意義、価値松花堂昭乗(1584~1639)は近世初期の能書として知られるが、その書は、近衛信尹や本阿弥光悦と比較され、評される場合が少なくない。近世初期を代表する書風のひとつであることは認めつつも、その穏やかで奇を衒わない傾向は、現代的な感覚からすれば、没個性的とも捉えられかねない。昭乗自身について、書状を通して浮かび上がる人柄は、周囲に心を配り、人と人を取り持つことに力を注ぎ、和することを好む傾向として表れる。また、自ら度々開いた茶会は、男山周辺の人々の親睦のみならず、石清水八幡宮の社僧として、公家衆、武家衆をもてなすなど、近世初期の転換期において、和睦を図る側面が大きかったと考えられる。この姿勢は没個性的なあり方ということもできよう。しかし、この価値観こそ、彼の生きた時代にあって、重要な価値観のひとつであったと考えられ、この価値観がどのような人々と、どのように享受されていたのか、という視点は、考察に値するものと考えられる。「和歌散書花鳥図屏風」を中心に、松花堂昭乗の書と料紙装飾の関係に注目することは、作者、依頼者、仲介者を含めた制作背景を理解し、より深く作品の芸術性を理解する手段として意義あるものといえる。―39―川畑薫
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