鹿島美術研究 年報第38号
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②構想松花堂昭乗にとって、和することは、最も大きな関心事であり、創作の上でも、この視点が注意深く扱われていたと考えられる。松花堂昭乗の美意識を集大成したものと称されるのが、草庵「松花堂」である。石清水八幡宮の社僧であった昭乗は、瀧本坊の住職を務めていたが、54歳の頃、寛永14年12月に瀧本坊の住職を後嗣に譲り、隠居した。その隠居所として、瀧本坊の少し南方にある泉坊の一角に、草庵「松花堂」を結んだ。屋根は宝形造の茅葺で、露盤に宝珠を頂く。正面の戸は桟唐戸で、仏堂風の外観だが、茅葺のむくり屋根が柔らかな表情をみせる。室内は、二畳の座敷、仏間、土間が備わり、床の横に袋戸棚を設け、その下方に丸炉を切る。土間には竈が備え付けられ、最小限の空間に身の回りの機能が備わる。この草庵は、中世の隠者が好んだ草庵、また市中の隠を好んだ上流貴族が好んだ草庵の流れを受け継ぐものとされる。同様の趣向は、近世初期に八条宮智仁親王が造営した桂離宮にもみられる。桂離宮の御茶屋「月波楼」の額は昭乗の字であることなど、昭乗は、智仁親王の桂離宮の趣向に接していたと考えられ、草庵「松花堂」は、その趣向と共感する建物との指摘がある。貴族好みのおおらかなむくり屋根、わび茶の草庵に比べて明るく開放的な雰囲気、丸炉や竈などの洗練された田舎風の趣向が、草庵「松花堂」にも実践されている。草庵「松花堂」には、仏壇に師・実乗の肖像画を掲げ、床には自画像が掛けられた。求道者として身を律しながら、寛永の穏やかな世を希求する時代に添った空間といえよう。このように、主張の汲み取りやすいものではないが、細部に心を砕き、センスよくまとめあげられた小さな空間のあり方は、個性的なものである。このあり方は、昭乗の書画作品に流れる基調に通じるものといえるのではないか。和することに心を砕いた昭乗の芸術について、昭乗の書と料紙装飾の関係を手掛かりに、検証したいと考えている。―40―

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