⑲初代・飯塚桃葉と18世紀の江戸文化―百草蒔絵薬箪笥を中心に―ってどのような変遷をみせているのかを多角的に考察する。これにより、江戸景観図の流れを眺望することが可能となり、近世絵画における風景表現の展開や風景への眼差しの変質を考える上でも有用であると考える。また、江戸景観図である本作と、一峨や木挽町狩野家9代目晴川院養信(1796~1846)、谷文晁の手になる大名庭園図や、特に江戸に所在する大名庭園を描いた作例を併せて考察することで、実景図と庭園画との連関を探る。庭園画については、2017年に静岡県立美術館において、江戸時代に隆盛した庭園画の成立と展開を広く取り上げた意欲的な展覧会「美しき庭園画の世界」が開かれ、関東・関西における庭園画の異なる様相が示された。本研究では、こうした研究の成果を踏まえながら、江戸景観図と大名庭園図を複合的に視野に入れることで、江戸(関東)における庭園画を含む実景図の特質を明らかにしたい。また、江戸後期に一大ジャンルを形成した歌川広重らの風景版画を、本作と大名庭園図の比較対象とすることにより、大名の用命による風景画に共通する意識をあぶり出し、大名庭園、ひいては風景を描く(描かせる)ことの意味について、同時代の風景愛好の潮流とは異なる新たな視点から捉え直すことが可能ではないかと考える。研究者:根津美術館学芸員永田智世意義本研究は、この初代・飯塚桃葉とその作品について、特に基準作のひとつである「百草蒔絵薬箪笥」(根津美術館蔵、以下本作品と称する)を中心にすえて、広く同時代の文化の中で考察することを目的とする。本作品は慳貪扉式、天面に提手を付けた薬箪笥で、器表と内部抽斗前面の裂地繋ぎ、蓋裏の薬草虫100種類の図、これらすべてを研出蒔絵で表している。この桃葉の技術力を如実に示す高度な研出蒔絵だけでも圧巻だが、観松斎桃葉銘と明和8年(1771)11月の制作年銘をもつ蜂須賀家伝来が確かな作品であること、そして内容品が当時の18世紀後半の江戸の蒔絵師に、初代・飯塚桃葉(生年不詳、初名源六)がいる。宝暦14年(明和元、1764)に徳島藩主蜂須賀重喜に召し出され、このときに桃葉と改名、寛政2年(1790)に没するまで蜂須賀家に仕えた名工である。―42―
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