鹿島美術研究 年報第38号
58/134

ままほぼ残っていることも貴重である。その内容品とは、薬種を入れる彫金の美しい銀製合子と紙製の袋、ガラス製薬瓶、薬匙、鍼灸道具などで、医師の往診用の薬箱(薬籠)としての機能を今に伝えている。実は本作品は長らく鍵が開かなかったことから、最初に詳細な報告がなされた時には、器表のみの分析であった(大橋俊雄「初代飯塚桃葉の作品」、『美術史の断面』武田恒夫先生古希記念会、1995年)。鍵が開き概要が紹介されたのは近年になってからである(多比羅菜美子「飯塚桃葉作百草蒔絵薬箪笥」、『国華』1391号、2011年)。その後は、豊富な内容品も併せて本格的かつ総合的な考察はなされていない。しかし博物図譜のような蓋裏の薬草類の図様、蘭方とのかかわりを示す薬種入れなど、本作品には当時の文化の様相を示す情報が多く内包されていると考えられ、漆工史の視点だけではなく、徳島藩の医学―本草学者や蘭方医との関係にも着目しながら、さらに踏み込んだ調査研究が必要である。この時代には蘭方医が広域に存在し、その知性と経済力で多くの文化人と関わり優れた美術や文化を生んでいるが、今回の調査研究は18世紀における日本の、そうした大きな枠組みのなかでの事例研究のひとつとして取り組むものである。そのため、飯塚桃葉の作家研究を進めることのみならず、その制作背景にある江戸文化の一端を解明することにもつながり、ここに本研究は大きな意義がある。構想調査を遂行するにあたっては、まずは漆工史の観点から飯塚桃葉の基準作および他の作品調査を行い、その全体像の中で本作品を考察することとする。次に「薬箱」の歴史資料として本作品を精査する。その内容は、絵画史・金工史・薬学史・医学史といった様々なアプローチが可能なほど豊富な内容となるが、ひとつひとつ丁寧に分析することで、蜂須賀家のもとで花開いた文化を、タイムカプセルのような本作品を通して紐解いていきたい。そして将来的には、本調査研究をもとに展覧会を開催したいと考えている。―43―

元のページ  ../index.html#58

このブックを見る