鹿島美術研究 年報第38号
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中尊寺金銀交書一切経の本文系統に関する調査研究【目的】本研究の目的は、中尊寺金銀交書一切経(以下、中尊寺経)の本文系統を明らかにすることにある。【構想】奥州藤原氏初代、清衡(1056-1128)の発願による中尊寺経は、永久五年本研究は「真景とは何か」という大きな課題のうち、真景の広がりを明らかにしようとする。まず作品中に真景と記された、すなわち作者が真景として表したものを広く集める。寛政9年(1797)の谷文晁「那智真景図」は画中に画家自身が「那智真景図」と記し、真景図として描かれた。これまで真景(図)研究で取り上げられてきた文人画、写生派、洋風画以外にも、江戸時代後期から明治期にかけて多くの浮世絵版画の題として真景が刷り込まれている。浮世絵版画では絵師が、なのか版元が、なのかはともかく作り手側で真景と示している。地誌、絵図といった資料的な作品にも真景と題されるものが確認できる。集めた用例について画風や描法の検討を行い、近い主題で真景と記されない作品、資料との比較によって、作り手の表す真景の範囲を確認する。真景が実景を指すことは疑いないが、実景の捉え方、表し方に真景としての共通点があると予想でき、それを確認したい。真景の語は本画の作品では山、滝、川といった景観と結びつきやすく、伝統的な山水の枠組みを残していると考えている。浮世絵版画、地誌、絵図についても、真景と特定の景観の結びつきを検討したい。これまでの真景(図)研究は江戸時代中期以降の文人画を主に、写生派、洋風画といった本画作品とその画家を対象とし、掘り下げる方向で行われてきたが、今まで別に扱われてきた浮世絵版画、さらには真景(図)研究の対象になかった地誌、絵図を、真景と記されることに注目して合わせて総合的に検討する新しい試みである。本研究で得られた知見をもとに、別途真景(図)と呼ばれたものの考察と合わせて真景とは何かを明らかにしたい。真景の語はもともと実景を指し、真を写す意味で「写真」の語が用いられたのと同様に真景の語が広まった。同じころ各地で街道の整備、旅の普及などから実景への興味関心が高まり、写実的な風景表現が多く現れ、真景の語と写実的な風景表現が結びつき、真景図が描かれるようになった。真景は日本絵画における写実の問題とも強く結びついている。研究者:京都国立博物館研究員―48―上杉智英

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