(1117)より天治二年(1125)にかけ書写された一切経(仏典の一大集成)である。当初の巻数は『貞元新定釈教目録』入蔵録に基づく5,390巻と推定され、纏まった遺例として金剛峯寺所蔵4,269巻、観心寺所蔵166巻、中尊寺所蔵16巻が知られる。このうち、『大方広仏華厳経続入法界品』、『法句経』巻下、『孔雀王呪経』、『比丘尼伝』巻第四、『出三蔵記集』巻第二~十、以上13巻には、中国北宋の開宝年間(968-976)に開版された一切経である開宝蔵の刊記が転写されている。そのため、従来、中尊寺経の本文系統は、開宝蔵の転写本と考えられてきた。本研究では、第一に現存する開宝蔵の遺例12巻と、中尊寺経を対照し、その本文系統が開宝蔵本であるのか否かを実証する。現時点の仮説として、開宝蔵の刊記が転写されている13巻は開宝蔵本系統として問題ないが、それを中尊寺経全体に敷衍することには首肯できない。書写年次と所在を異にする平安・鎌倉期の書写一切経(石山寺一切経、松尾社一切経、興聖寺一切経、七寺一切経、名取新宮寺一切経、金剛寺一切経)の上記13巻には、開宝蔵の刊記を転写する例が散見するためである。これは、奈良朝写経に由来する書写一切経の欠本が、寛和三年(987)、奝然による開宝蔵の将来によって、初めて補われ、その完備した一切経が以降の書写一切経の基範となったためと推測する。上記の想定に則り、第二に開宝蔵の刊記が転写されていない中尊寺経に対し、奈良朝写経(五月一日経)、及び中尊寺経の書写以前に将来されている東禅寺版大蔵経(1080-1112)と本文を対照する。これにより中尊寺経の主要な本文系統が、奈良朝写経に由来するものであるという仮説を実証する。【意義】本研究の意義は、奈良・平安期の仏教文化の基盤となったテキスト群の復元にある。奈良朝の勅定一切経として、後の一切経の底本とされた光明皇后による五月一日経は、現存約1,000巻とされるが、中尊寺経は4,478巻を数える。その本文系統が五月一日経に由来するならば、既に散逸した五月一日経の本文を伝える纏まった貴重な遺例となる。また、五月―49―想定される中尊寺経の本文系統
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