江戸名所絵本における風景表現の研究一日経が遣唐使を介した、唐代仏教経典の忠実な転写本であることを考慮すれば、中尊寺経は中国唐代仏教を研究する上でも重要なテキストとなるであろう。研究者:法政大学文学部教授小林ふみ子本研究は、18世紀後半に多くの浮世絵師が手がけた江戸名所絵本を分析することによって、浮世絵における風景表現の発展史の解明に貢献するとともに、江戸における名所の成立と展開にかんする新たな視点を得ようとするものである。この時代が、錦絵が発明され、大きく発展をみる時期であることは周知の通りだが、その大きな背景として江戸の都市としての成熟がある。浮世絵の世界でそれを体現したのが、多くの浮世絵師らが手がけた江戸名所絵本であった。西村重長『絵本江戸土産』(宝暦3年〈1753〉刊)、鈴木春信『絵本続江戸土産』(明和5年〈1768〉頃刊)を先蹤とし、天明(1781-89)から文化(1804-1818)の初年にかけて、鳥居清長、北尾重政、北尾政美こと鍬形蕙斎、また喜多川歌麿、歌川豊国、そして北斎といった浮世絵師たちによって20点以上が制作されている。とりわけ北斎の『東遊』(寛政11年〈1799〉年刊)、『東都名所一覧』(寛政12年〈1800〉刊)、『みやこどり』(享和2年〈1802〉刊)、『画本狂歌山また山』(文化元年〈1804〉刊)、『絵本隅田川両岸一覧』(文化初年頃成稿、同13年〈1816〉刊)は、不惑に至った彼のこの時代の画業を代表するものとして評価が高い。これら北斎の作も含め、この時期の江戸名所絵本の大半が同じ頃に江戸で大流行をみた天明狂歌の狂歌師連中による入銀によって板行されている。狂歌の大流行、浮世絵の発展にともなうさまざまな絵師の活躍、そしてなにより都市文化としての行楽の盛行を背景とした、それぞれに特色ある名所が江戸の各地に成立したこと、それに対する市民=購買者層の支持という諸条件がその作品群の共通の基盤といえるが、そうした視点をふまえた総合的な分析はなされていない。解説される機会も少なくない北斎の作を除けば、歌麿の作について、古く鈴木重三氏による北尾重政作品の摂取についての指摘があるほか、それを補足した鈴木俊幸氏の論考、浅野秀剛氏による書誌を中心とした研究、鈴木淳氏による作品解説的な論述など、個別の絵師ないし作品の問題として論じられるにとどまってきた。―50―
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