シエナ、パラッツォ・デル・マニフィコのカメラ・ベッラ装飾事業―ルカ・シニョレッリの事業招聘をめぐって―とはいえこれらの名所絵本は、人物の背景も含めた浮世絵における風景表現の発達史のなかの重要な作品群として分析し得るものではなかろうか。同じ頃、清長や勝川春潮、勝川春山らが描いた錦絵における戸外の美人群像の背景に、浮絵の発達もふまえた風景描写としてみるべき表現があることが示唆されている(2019年町田市立国際版画美術館「美人画の時代春信から歌麿、そして清方へ」展大久保純一氏ら解説)。江戸名所絵本もまた、こうした錦絵の人物の背景描写と並んで、風景表現の展開の流れのなかに積極的に位置づけられよう。天保期(1830-1844)以降の北斎・広重らの連作に代表される浮世絵の風景表現に至るまでの過程は、それらの種本と目される各地の地誌類の挿絵は別として、奥行きを見せること自体を目的とする浮絵として制作された作品群によっておもに説明されてきた。本研究は、それとは別に浮世絵師たちが自然な空間表現技法を模索した一分野を開拓してみようとするものである。また、本研究の実用的な成果として、錦絵などにおいて文字情報のない舞台設定を特定する手がかりをまとめ得ることが期待されることを付記しておきたい。本研究の対象とする江戸名所絵本は、江戸の都市文化の成熟のなかで市民の行楽のさまを、なかば願望も交えつつ、いきいきと描きだした。これを分析することで江戸名所のありかたや成立過程、分布などの情報も得られると考えられる。研究者:九州大学大学院人文科学府博士後期課程本研究はルカ・シニョレッリとベルナルディーノ・ピントゥリッキオが手がけた、シエナのパンドルフォ・ペトルッチの宮殿であるパラッツォ・デル・マニフィコの一室であったカメラ・ベッラ装飾事業(c.1509)を対象とし、とりわけ先行研究で明らかにされてこなかったルカ・シニョレッリの本事業への招聘の背景を、同時代史料の収集と絵画作品の調査から探ろうとするものである。本研究には以下の三点において意義があるものと考える。第一に、シニョレッリの本事業への招聘の経緯を明らかにすることで、先行研究上の焦点であったカメラ・ベッラの全体的な装飾プログラムを再考する契機を提供でき―51―森結
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