小磯良平《働く人びと》壁画(1953年)における社会背景と図像表現の研究られる。おそらく注文主であるペトルッチがカメラ・ベッラを古代趣味的な壁画と装飾で飾らせるにあたって、両画家の古代趣味における領分の違いを認識していたからこその采配であると考えられるが、これを裏付けるためにも本研究では両画家における事業委託の背景を探り、両画家の古代趣味ないし古代受容の違いを明らかにしたい。研究者:神戸市立小磯記念美術館学芸員小磯良平の1950年代の制作活動は、時代としての明確な傾向があり、作品数が充実しているにもかかわらず、これまでは断片的な研究がなされるにとどまっていた。本研究では、《働く人びと》(1953年、小磯記念美術館寄託)をはじめとして、1950年代に小磯が手がけた「働く人」を主題とする連作をとりあげ、小磯の画業における同時期の特異性を明らかにすることを目的とする。小磯は《働く人と家族》(1955年)、《働く人》(1959年)など、50年代を通して断続的に「働く人」を主題とした作品を制作し、新制作展や現代日本美術展などで発表した。しかし小磯良平と近しい神戸の洋画家、石阪春生が述べるところによると、小磯最大の500号の油彩画《働く人びと》は発表当時ほとんど注目されなかった。このことが、今日における高い評価につながっていない理由だと考えられる。しかし、《働く人びと》にはもっとも意欲的な形で小磯の西洋美術研究の成果が凝縮している上に、「働く人」という主題には同時代的な問題意識が強く反映されていると想定され、本作は小磯における最重要作のひとつと言えるのである。小磯の西洋美術研究は、とりわけアングルやシャセリオー、マネやドガらについて、時に明確な形で画面にその跡が残され、先行研究においてもさまざまに指摘されてきた。《働く人びと》には、それら19世紀のフランス絵画だけでなく、古くは古代ギリシャ、ルネサンス期のイタリア、そしてキュビスムまで、より幅広い時代や地域の美術が参照されている。そのため、個別的なイメージソースを分析することを出発点としつつも、西洋美術史をひとつの作品の中に総合し、自らの作品を創作するといった制作態度に注目する必要がある。そのことで、詩人竹中郁によって伝えられ、これまで様々な場面で引用されてきた小磯の言葉「日本の洋畫界にはまだまだ古いところの―53―多田羅珠希
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