鹿島美術研究 年報第38号
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阿弥陀浄土図の景観と構図の成立に関する研究研究が足りぬのだから、そこを自分がやるだけだ。(…)洋流の傳承を十分咀嚼して我邦に植ゑるだけで自分の任務は澤山だ」に表されている西洋美術に対する姿勢を、より具体的に検証することができると考える。また、「働く人」という主題設定については、同主題が1950年代に日本の近代美術の中で同時多発的に見られることも重要である。「アカデミック」「清楚な女性像の画家」という定着した画家像に隠れて見過ごされがちであるものの(必ずしもそれらと矛盾しないのだが)、小磯は常に同時代性を自らの作品に持たせようとする意識を強く持った画家だった。1950年代の「働く人」作品には、主題の面で特にその傾向が強く表れていると考えられる。小磯は昭和期の代表的な洋画家でありながら、近代美術における位置づけがあまり語られてこなかった。熟考を経ずには流行や「最先端」の美術動向の波に乗ることがなかった小磯の作品は、「新規性」とは異なる評価軸を日本美術史に問い続けている。本研究で、「働く人」という主題から、その社会背景や同時代の美術作品を併せて考察することで、今後ますます求められる横軸からの小磯研究の可能性をひろげたい。研究者:富山大学学術研究部准教授本調査研究では、中国の阿弥陀浄土図の成立について、当時の人々が見ていた実際の皇帝の庭園である「苑」の景観が阿弥陀浄土とつながり、浄土図が出来上がっていく経緯と過程に着目し解明することを目的とする。合わせて、インドや西域の仏伝図等からの影響、また朝鮮半島、日本への伝播と展開を検討する。このように、当時の画工が浄土に関してどのような構想を持ち、2次元に投影させたか、その過程を知ることは東洋絵画全体を考える上でも重要と思われる。1.意義阿弥陀浄土図は、あらゆる浄土変相図の中でも、浄土経典・儀軌に沿って浄土の情景を最も詳しく描き出した重要な作品群である。中国では5~6世紀頃南響堂山石窟敦煌莫高窟 第220窟 南壁 阿弥陀浄土変相図―54―三宮千佳

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