鹿島美術研究 年報第38号
77/134

いるように(Larry Silver, “Forest Primeval: Albrecht Altdorfer and the German Wilderness Landscape”, Simiolus: Netherlands Quarterly for the History of Art, Vol.13, No.1, 1983, pp.1-13; Christopher Wood, Albrecht Altdorfer and the Origins of Landscape, Chicago, 1993)、ドイツ人文主義者の間で、古ゲルマンを象徴するドイツの自然に目が向けられるようになったことが、風景画受容のきっかけとなったと考えることができる。また16世紀初頭にドイツで起こった宗教改革では、聖像批判やイコノクラスムが起こり、多くの地域で従来の宗教図像が受け入れられなくなった。そのため、これまでの宗教図像に代わる表現として、一見世俗的でありながらキリスト教的意味を込めた風景画が生まれ、受容されたという可能性も指摘されている。しかしながら、管見の限り1520年頃のドイツの風景画の注文記録は残っておらず、実際の制作意図や受容の実態を判断するのは困難な状況にある。そこで、風景画が成立した背景を、イコノクラスムやドイツ人文主義による郷土意識や愛国主義からのみ捉えるのではなく、中世から広く社会で受容されていた「樹木の聖母」というキリスト教図像に着目し、それと関連する古ゲルマンの樹木信仰との関連を調査することで、風景画の成立事情について多角的に考察する。(構想)「樹木の聖母」という主題は、1500年頃の宗教改革前にドイツで流行した。この図像は、イタリアやフランスやネーデルラントでも見られるが、ドイツでは祭壇画や祈祷書挿絵として、また個人の注文によってさかんに制作された。ヴァルツァーは、中世に異教的とされてきた樹木信仰が、16世紀の巡礼教会で生命の木や「樹木の聖母」として信仰を集めたことを指摘しているが(Albert Walzer, “Wallfahrtskirchen mit eingebautem Baum”, Württembergisches Jahrbuch für Volkskunde, Vol.1, 1955, pp.90-116)、ドイツには古ゲルマンの時代に遡る樹木信仰があり、それが中世にキリスト教と融合したと思われる。ドイツでは、森や樹木の中から聖母イコンが発見されてそれが奇蹟をもたらすといった伝承が各地にあり、多くの聖地や巡礼地を生み出した。こうした民衆的な信仰によって、樹木と聖母が結びつき、「樹木の聖母」の信仰が普及したと思われる。オッタースヴァイアーのように、地域によっては「菩提樹の聖母」と称されている。さらに「樹木の聖母」については、雅歌註解や聖母の連祷書に典拠を見出し、その神学的意味を分析する必要がある。また、樹木と聖母の挿絵が多く含まれるドイツ人文主義者ウルリヒ・ピンダーによるロザリオ祈祷書(1505年)の挿絵には、―62―

元のページ  ../index.html#77

このブックを見る