六朝装身具の復元研究研究者:国立歴史民俗博物館准教授本研究では、三国時代から南北朝時代にかけての中国を対象とし、装身具の実態を明らかにすることを目的とする。出土資料をもとに、「身体装飾の形」を類型化し、性別あるいは社会階層など、被葬者の社会性と身体装飾との対応関係について整理する。主に、両晋期を中心に、身体装飾の形を整理することにしたい。三国時代から南北朝時代にかけては、古典的中国世界が変容し、転換する時期にあたる。仏教や道教が社会に浸透したように、思想、行動ともに、新たな時代に向けた胎動が始まる四世紀以後、中国社会には漢民族を含め思想・生業、行動形態の異なる諸集団が混在しており、旧来の社会秩序は崩壊し、新たな社会秩序が構築されてゆく。それは、隋唐帝国の成立という形で結実した。装身具は、身分秩序、社会階層を可視化する装置である。史書には世の中の「理」を記述した項目が必ず含まれており、服飾・典章制度をまとめた輿服志は、律暦志や天文志などともに採録されることが多い。衣冠が象徴する服飾制度は身分階層と結びつき、身分秩序を可視化する装置として常に認識されていた。こうした意識の変革を探るには好適な資料だといえよう。この時期には、仏教が導入され定着してゆく時期にも当たる。南北朝時代には、西域的な身体装飾をもたないガンダーラ仏の影響を受けた仏像が、瓔珞を伴う中国的な装飾をもつ仏像へと変化してゆく時期にも当たる。装身具は仏教の導入と定着を考える際にも有効な資料であり、身体装飾の形から仏像を検討することは、中国社会での仏教受容プロセスを解明することに他ならない。世俗社会にある「身体装飾の形」から「荘厳化された仏の姿」が創出されたのであり、身体装飾の形から仏像を検討することは、新しい価値観念の創出を検討できる重要な視点であるといえよう。また、この時期に、中国と周辺諸地域との関係は新たな次元へと進む。朝鮮半島や日本列島など周辺地域では民族国家が形成され、社会秩序を構築するうえで中国との関係や、あるいは中国の制度を積極的に利用した。中国王朝も、周辺諸民族との連携を利用することで、自己世界の拡大と回復に努めたのである。周辺への中国制度の導入が積極的に図られた、本格的な政治交渉が始まる時代であったといえよう。こうした周辺諸国でも、中国の制度の導入・運用と前後して、中国系の装身具の利用がみえ―64―上野祥史
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