鹿島美術研究 年報第38号
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雪作品を総観し、山雪様式を整理すること。第二に随心院本「蘭亭曲水図屏風」から山雪様式の形成と展開を考察することにある。水平垂直を基調とした幾何学的な構図、細部にまで及ぶ緻密な描写が特徴とされる山雪様式であるが、これまで総合的な様式研究は行われてこなかった。その背景に、山雪作品の年紀が判明しているものの少なさ、また山下善也氏が指摘するように、「聖賢図押絵貼屏風」のように同時期の作品であっても署名の書体が異なり、署名から作品を編年することが困難であることが挙げられる。土居次義氏が昭和19年刊行の著書のなかで、まず挙げられた山雪の基準作は、「繁馬図絵馬」(寛永14年)、「観音天大将軍身図」・「観音天龍夜叉図」(正保4年)、「舎利殿天井画竜雲図」(正保4年)の三点であった。しかし近年では個別の作品研究も進められ、また作品や史料の発見・再発見から、制作年代を絞り込むことができる作品もいくつか明らかになった。現在、基準作と見なされ年紀の判明している作品は、先のものに加え「歴聖大儒像」(寛永9年)、「藤原惺窩閑居図」(寛永17年)、「旧天祥院障壁画群」(正保3年)、師・山楽との筆分けの問題はあるが「天球院障壁画群」(寛永8年)である。これら新史料や研究報告など、近年の先学の研究をまとめ、さらに筆者自身の個々の作品の観察や分析を加え、山雪作品のおおよその年代観を整理し、そこに窺われる山雪様式の変遷を跡づける。次いで随心院本「蘭亭曲水図屏風」を研究の中核に据えて、山雪の主題と様式の問題を再検討していく。随心院本は明代の拓本「蘭亭図巻」をもとに制作された八曲二双の金屏風である。本作品を扱う理由は、一つに、随心院本に先行する山雪の「蘭亭曲水図」作例として東本願寺の「蘭亭曲水図襖」下絵(寛永4年頃推定制作年)が存在すること。二つに、山楽から山雪への過渡期を象徴する天球院障壁画(寛永8年)とくに「籬に草花図襖」の制作を経て、随心院本(寛永11年)が制作されていることにある。「蘭亭図巻」には描かれず、「蘭亭曲水図襖」下絵にはないモチーフとして、屏風を横断する柵の存在が挙げられる。随心院本「蘭亭曲水図屏風」に挿入された柵と「籬に草花図襖」の籬の画中での働きを考察することで山雪様式の核に迫ることができるのである。このことは、師・山楽との関係性を考察する際にも極めて有意義な切り口となるだろう。さらに、山雪における主題と図様の選択に関わる中国画巻の問題も明らかにするため、「韃靼人狩猟図」との比較検討を行う。「韃靼人狩猟図」は「蘭亭曲水図」と同じく中国の画巻を参考に画題を大画面に展開させ、かつ多くの人物が―68―

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