鹿島美術研究 年報第38号
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―1909年髙島屋初の私設展覧会「現代名家百幅画会」について―近代日本における百貨店美術部の歴史的意義登場するという点でも共通性が認められ、山雪様式の多層的分析に有効であると考える。これまで大画面樹木画の様式など、断片的な様式論は提出されてきたが、山雪の総合的な様式研究、すなわちその特質と展開を考察し体系化するものはなく、本研究は今後の更なる山雪研究の発展に繋がると考える。研究者:高島屋史料館研究員研究の意義:本研究は、日本独特の存在といわれる百貨店美術部の歴史的、美術史的意義を明らかにしようとするものである。近代日本における美術概念の受容、とくに大衆と美術との関係を考察する上で、無料で誰もが観覧できる場所として存在していた、百貨店美術部の果たした役割を無視することはできない。百貨店の美術展覧会および美術部の活動に関する先行研究は、山本武利・西沢保『百貨店の文化史』(1999年、世界思想社)や神野由紀『百貨店で〈趣味〉を買う』(2015年、吉川弘文館)などにおいて、三越美術部を中心に研究が蓄積されているものの、実はそれほど多くはない。廣田孝「明治期の百貨店主催の美術展覧会について」(2006年『デザイン理論』48)は、三越と髙島屋の初期の美術展を取り上げ、両社ともに1908、9年に美術品を商品とし始めたこと、そして展覧会は大阪(もしくは京都)を会場としていることなどその類似性を指摘した。その後、山本真紗子「北村鈴菜と三越百貨店大阪支店美術部の初期の活動」(2011年、『Core Ethics』Vol.7)などがあるが、髙島屋美術部のみを扱った研究は未だ存在していない。髙島屋は京都に本店を持ち、明治中期より注力した輸出向染織品製作において京都の画家たちは欠くことのできない存在であり、深いつながりを持っていた。その素地があったからこそ、1909(明治42)年に「現代名家百幅画会」を開催することができたのである。その全容を解明することによって、美術部創設に至る経緯を明らかにし、髙島屋美術部の独自性、特異性を考察することが可能となる。さらに、近代日本における呉服店および百貨店に美術部が存在する意義が明らかとなろう。高井多佳子―69―

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