トサイダー・アートと訳されている。アール・ブリュットは、欧米では主に芸術の領域で展開していったが、日本では障がい者福祉と関わりつつ展開してきたため、欧米とは異なる、いくぶん福祉色の強い、やや特殊な理解がされている。それは、「ダイバーシティの理解促進」や「社会的包容力のある社会の実現」といった目的で、東京都がその振興に取り組んでいることにも表れている。だが、必ずしも受容され始めた当初から、そのようなアール・ブリュット観であったわけではない。本研究の目的は、どのような変遷をたどってそのようなアール・ブリュット観が形成されてきたかを明らかにすることである。日本においてアール・ブリュットの本格的な受容が始まったのは1990年代以降のことである。そこで本研究は、実作品の研究、海外作品の実態調査や海外文献の調査を含めつつ、1990年代以降の3つの出来事と、それに関連して生じた出来事に着目し、日本におけるアール・ブリュット観の変遷を明らかにする。その出来事の1つ目は、世界のいくつかの都市を巡回し、1993年に世田谷美術館で開催された「パラレル・ヴィジョン――20世紀美術とアウトサイダー・アート」展である。この展覧会は日本国内でのアール・ブリュットの認知の拡大をもたらすとともに、日本人のアール・ブリュット作品の発見・発掘の呼び水にもなった。さらには東京展の独自企画として、「日本のアウトサイダー・アート」と題した日本人の作品の展示もあり、これがきっかけとなり、京都府亀岡市の福祉施設、みずのき寮の作品がアール・ブリュット・コレクションに収蔵されるにいたった。2つ目は、ヨーロッパで開催された、2008-9年の“Japon”展と2010-11年の“Art Brut Japonais”展である。国内展も開催されたこれらの展覧会によって、「日本のアール・ブリュット」はヨーロッパで高く評価され、そのことによって日本国内でその存在感を増すこととなった。そしてそれは社会的・福祉的側面での影響力の増大をもたらすこととなり、滋賀県がアール・ブリュットの振興を県の施策として進めていくことにつながっていった。そして3つ目は2020年開催予定であった(2021年に延期予定)東京オリンピック・パラリンピックである。東京都はこの関連事業として、アール・ブリュットの振興に取り組んでおり、それによって「ダイバーシティの理解促進」や「社会的包容力のある社会の実現」が目指されている。2020年には東京都渋谷公園通りギャラリーがグランドオープンし、都内におけるアール・ブリュットの発信拠点となっている。―71―
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